「腐ってしまったコンゴという国を変えたい」

【渡部】コンゴ(民主共和国、旧ザイール)出身の難民と友達になったんです。私は日本語教室でボランティアをしていて、彼はそこに日本語の勉強に来ていました。コンゴは独裁政権の下で、選挙が延期され続けていた。選挙の実現を願う学生たちが一斉に検挙されて、彼も危なくなった。国中を逃げまわり、亡命してきたそうです。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【田原】難民申請は認められたの?

【渡部】認められていませんでした。知り合ったのは冬でしたが、彼は24時間営業のハンバーガー店で寝ていました。外は寒くて100円のコーヒーで朝までいられますから。

【田原】生活費はどうしていたんだろう?

【渡部】逃げてくるときに多少は持ってきたそうですが、日本は物価が高いので、すぐなくなります。お金が尽きた後は外で寝たり、難民の支援団体や教会に駆け込んだり。その後、シェルターに移動でき、半年過ぎてようやく就労許可が下りたので、工場で働いていました。

【田原】渡部さんは彼と話して、どこに興味を持ったのですか?

【渡部】お互いに将来の夢を話していたときに、彼は「腐ってしまったコンゴという国を変えて、平和をもたらしたい」と言っていました。

【田原】でも、国外に出たら国を変えられないんじゃないですか?

【渡部】そこがおもしろくて、じつは外に誰かいることも大事だそうです。何が起きているのかを、世界に発信し、現地の人々を支援するために、在外のコンゴ人たちがネットワークを作りながら国内の人たちと一緒に変えていくこともできると。その後、18年12月に選挙が行われて、新しい大統領になりました。いまのところは独裁ではないと言われていて、市民も希望を抱いています。ただ、軍が力を持ったままだと、帰国しても空港で拘束されてしまう。だから彼自身はまだ帰れないということでした。

【田原】難民について教えてください。2017年に日本で難民申請をした人が約2万人いて、10年で10倍に増えているそうですね。原因は何?

【渡部】まず世界情勢です。シリアではいまも紛争が続いているし、アラブの春で始まった混乱も収まっていません。たとえばチュニジアではいまISILが兵士のリクルーティングをしていて、人を殺すか、さもなくば殺されるという選択肢しかない状態に置かれる若者もいる。アフリカの植民地支配の影響はいまも現地の対立を生じさせている。それで海外に逃げるわけです。

【田原】アフリカから日本にも来るんですか?