90年代後半まで西葛西のインド人は4世帯程度だった

「駅のほかに、倉庫群とトラックターミナルもつくられることになったんです。ここだ! と思いました。会社の倉庫を西葛西に決めて、引っ越してきました」

記念すべき「西葛西リトル・インディア」その第一歩が記されたのだった。

とはいえ、それから20年ほどの間、西葛西は外国人にはほとんど縁のない場所であり続けた。

「1998年くらいまで、西葛西に暮らすインド人は4世帯だけでした」

ビジネスは順調だった。1981年には「シャンティ紅茶」を設立し、ホテルやカフェ、レストラン、大手デパートなど多数の顧客を抱えるまでに成長、インド紅茶を代表するブランドとなっていた。しかし在日インド人はチャンドラニさんのような貿易関連か、レストラン経営のほかにそう増えることもなく、日本の世は高度経済成長期からバブルを経て、低成長の時代に入っていった。ノストラダムスの大予言に沸く1999年のあたりのことだ。

「あれ? いまのインド人?」

西葛西の街を歩いていると、そう思って振り返ることが妙に多くなってきたのだという。

「3日ごとに新しい顔を見る、ってくらいインド人が増えたんですよ。明らかに、目に見えて。いったいあの人たち、なんの仕事をしてるんだろうってワイフとも話していたんですが、次々と西葛西にインド人らしい人がやってくる。そこで、ちょっと声をかけてみようか、と」

インド人が集まった理由は「2000年問題」だった

西葛西の道をゆく見知らぬ同胞に話しかけてみた。この街にはずいぶんとインド人がいますが、どうしてここに? 一度みんなで顔を合わせませんか……?

「びっくりしました。30人以上が集まったんです」

聞けば、そのすべてがIT関係の仕事をしていた。

あの「2000年問題」のため、日本企業がインドから呼び寄せた技術者たちだった。

世紀の変わり目を目前としたミレニアムの年。2000年になったその瞬間、世界中のコンピュータが誤作動するのではないかといわれた。

20世紀末のその当時、コンピュータは西暦の下二桁でデータを処理していたのだ。1997年なら入力される数字は「97」だった。2000年は「00」となる。これをコンピュータは「1900年」と誤認し、そのためにさまざまなシステムが動かなくなるのでは……という憶測が流れ、世紀末のアヤしい雰囲気もあって、一種の社会不安となった。いまとなっては笑い話だが、水道やら医療機器がストップするのではないか、証券取引所が大混乱するのではないか、果ては核ミサイルが誤発射されるかもしれない! というトンデモ話までが囁かれ、日本中の企業がコンピュータシステムの改変に追われた。が、人手がまったく足りない。そこでIT大国として頭角を現しつつあったインドから、技術者がどんどん派遣されてきたというわけだった。