食材店、インドのテレビ番組……生活基盤を整備した

「2000年問題」は結局、トラブルも混乱もないままに過ぎ去った。もともと杞憂だったとも、技術者たちの奮闘が実ったともいわれる。ただインドの人材とその技術が、日本で信用されるきっかけになったことは間違いないようだった。2000年問題のためだけの短期契約だったはずが、働きぶりを見た日本企業から新規の案件が次々と持ち込まれたのだ。

「西葛西に住むインド人が増えたとはいえ、あくまで出張ベースでした。みんな単身赴任です。それが2000年問題以降は、長期での契約に切り替わって働く人が多くなった。そうすると、家族を呼び寄せて、腰を据えて西葛西で生活するようになっていく」

日本にやってきた奥さんは、まずマユをひそめたそうだ。

「あんた毎日毎日、外食なの?」

そこで次にチャンドラニさんがつくった生活インフラは、食材店だった。スパイスをはじめさまざまなインドの食材を提供した。奥さまたちが腕を振るうようになる。インドの家庭の温もりが、西葛西にもやってきたのだ。

それからは怒濤のようにインド人の生活基盤を整備していく。ダンナが働いている間さみしい思いをして待っている奥さんのためにと、インドのテレビ番組を引っ張ってきた。香港で放映されている電波を日本に届ける仕組みを築いたのだ。このときは在住者たちの技術力が大いに役立ったという。

学校も祈りの場も作り「在日インド人の父」となった

子供のための学校だって必要だ。日本人が世界各国で日本人学校を開いているように、チャンドラニさんも西葛西にインド人学校を建設する。ヒンドゥー語と英語での教育をする、日本初のインド人学校だった。

祈りの場もいるだろう。ヒンドゥー教の寺院が、西葛西の北に位置する都営新宿線・船堀駅のそばに設けられた。毎日礼拝が行われているが、とくに日曜はたくさんのインド人で混み合う。地域にもオープンで見学もできる。

チャンドラニさんが中心となってつくりあげてきたコミュニティを頼って、その後もインド人は西葛西に増えていった。レストランや食材店もさらに進出してくる。そして、「“ディワリー”ができないか」という声も高まった。ヒンドゥー教の新年を祝うお祭りのことだ。本国では盛大に行われ、街中で花火や爆竹が鳴り響き、「光の祭典」とも呼ばれている。

「そこで区民会館を借りてお祭りをすることにしたんです。いちばんはじめの年に参加したのは30人ほど。ですが3年後には300人にまで増えたんです」

やがてお祭りは西葛西を代表する巨大イベントへと成長していく。いまでは「東京ディワリフェスタ」と呼ばれ、インド人だけでなく日本人も合わせて5000人以上を集客する。2018年で19回目を数え、毎年10月の西葛西の風物詩にまで定着した。インド料理や雑貨の屋台が並び、伝統舞踊やアートなど、インド文化の体験も楽しめる。

その舞台であいさつをするチャンドラニさんは、いつしか「在日インド人の父」と尊敬を集めるようになっていった。