「住むところ」に困ったインドの技術者たち
「彼らが働いていたところは官公庁や銀行、大手企業が集中するエリアでした。そこに東西線で通いやすい、西葛西あたりのマンションに臨時の住居を与えられて、暮らしはじめたというわけなんです」
チャンドラニさんが倉庫の場所を決めた理由とほとんど同じである。インド人も東京での通勤の利便性を考える中で、湾岸・西葛西へと流れていったのだ。
「みんな生活に困っていました。とくに住むところです」
日本の会社が借り上げてくれればいいが、そうでない人もいた。自分で住居を探さなくてはならない。ほかのインド人技術者を追うように西葛西まで来たものの、住居の契約を断られて途方に暮れている人もいたのだ。まだまだ外国人の少ない時代である。日本の不動産屋は「ヨソモノ」を警戒した。本当にちゃんと家賃が払えるのか。日本の会社からしっかり給料をもらっていると証明できるのか。言葉や習慣も違う……。
どうにか手助けができればと、「先住民」であるチャンドラニさんは新参IT技術者たちと不動産屋をまわった。すでにほぼ独学で日本語をマスターし、日本の文化や習慣の中で生きてきたチャンドラニさんである。地域に信用されていたのだ。家賃の支払いに支障のない給料をもらっていることの証明など、いくつもの書類を用意し、まあチャンドラニさんがそこまで言うなら……と、まとまりかけたとき、また問題が起こる。
「保証人はどうする、って話になったんです」
「ワイフにナイショ」で保証人になった
困った。そう言われても、来日したばかりのインド人に日本での身分を証する人などいるわけもない。URの管理する賃貸住宅だってまだ整備されていなかった。
「保証人を立てなかったら、ここまで進めてきた契約がパーになる。だいぶ悩んだんですが、私が保証人になることにしました。ワイフにはナイショです」
あとで知った奥さんには、さんざん厳しく叱られたという。それでもチャンドラニさんを保証人として日本で働きはじめたIT技術者たちは、誰ひとりとして支払いなどのトラブルを起こすこともなく、西葛西に根を下ろしていったのだ。
「じゃあ次は料理だと。昼間はみんな都心で働いています。いまほどではないけれど、都心には少ないながらもインド料理屋がありました。でも西葛西に戻ってくると、何もなかった。とくにベジタリアンの人が困ったんですね。だったらみんなで調理しようとエキサイトしたんですが、やっぱり素人ですよね。うまくいかない」
だったらインドからプロを呼んで、もう食堂をつくっちゃえ! と思いきった。西葛西駅から北西に歩いて5分ほどの場所にあった和食の店が店じまいすることになったと聞いて、居抜きで借り上げた。そこで簡単なインド料理を安価で出すことにしたのだ。
「店名もなかった。でもこれが、隅田川から東では、日本初のインド料理店なんです」
チャンドラニさんは胸を張る。いまや日本人にも大人気となっている『スパイスマジック・カルカッタ本店』の前身となった店である。