公教育制度は「150年程度」の歴史しかない
とまれ、来るべき市民教育の本質は、単に道徳教育や市民教育の“授業”をするだけでなく、学校それ自体を、多様な人たちが知り合い、交流し、そして「相互承認」の感度を育み合っていく場としてつくっていくことにあるとわたしは考えています。
繰り返しますが、これは決して突飛なアイデアではありません。今の常識に、あまりとらわれないようにしたいと思います。わたしたちが今知っている学校の姿は、歴史的、また世界的に見てもきわめてローカルなものです。そもそも公教育制度自体が、整備されてからせいぜい150年の歴史しかないものなのです。時代と共にその姿が大きく変わっていくのは、ある意味で当然のことです。
上に述べたことは、何十年後かの、ごく一般的な学校の姿になっているかもしれません。いや、そのような姿へと、わたしたちは学校を向かわせていく必要がある。わたしはそう考えています。
熊本大学教育学部准教授
1980年兵庫県生まれ。熊本大学教育学部准教授。哲学者、教育学者。主な著書に、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『教育の力』(講談社現代新書)、『「自由」はいかに可能か』(NHKブックス)、『子どもの頃から哲学者』(大和書房)、『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマー新書)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)がある。幼小中「混在」校、軽井沢風越学園の設立に共同発起人として関わっている。