「大人が学ぶ姿」は子どもたちの刺激になる
次に、学校統廃合の問題について。
これもまた、わたしは学校を”ごちゃまぜのラーニングセンター”にしていくための大きなきっかけにすることができると考えています。
せっかくの学校を、統廃合してつぶしてしまうのではなく、学びの複合型施設へとリバイバルするのです。そのことによって、学校を子どもたちだけが学ぶ場所ではなく、地域の人、親、学生、幼児など、さまざまな人が集い学び合う、“ごちゃまぜのラーニングセンター”にしていくのです。
先生だって、学校を自分の学びの場として、子どもたちにその姿を大いに見せてあげてほしいと思います。たとえば、国内外の最新の教育事情を学ぶためのプロジェクトチームなんかをつくって、学校で大いに学び合っていただきたいと思います。先生は、子どもたちの「共同探究者」「探究支援者」であると同時に、自らがまさに「探究者」であり続けるのです。
大人が学ぶ姿を見ることは、子どもたちにとって大きな刺激になるはずです。子どもたちや保護者の多くは、先生が研修などで常に学び続けていることをあまり知りません。だったらなおさら、子どもたちの目に触れないところで研修を行うのではなく、むしろ子どもたちがプロジェクトに勤しむその隣で、先生たちもプロジェクトに打ち込んでいるなんていう姿があっても素敵じゃないかとわたしは思います(もちろん、学校では子どもたちの「探究支援者」であることが第一ですが)。
学校は地域づくりの要です。なくなると、地域住民をつなぎ合わせていた力が弱まり、町の活気も失われてしまいます。
軽井沢に「幼少中」が混ざり合う学校をつくる
だったら、学校を今よりもっと多様な人たちの学びの空間にしてしまってはどうか。わたしはそう考えています。
2020年に仲間と共に開校を予定している幼小中「混在」校、軽井沢風越学園は、文字通り、幼小中が混ざり合う学校として構想しています。「自由」と「自由の相互承認」の実質化を学校づくりの原理とし、「同じから違うへ」と「分けるから混ぜるへ」をコンセプトとした学校です。
それは文字通り、“ごちゃまぜのラーニングセンター”になるでしょう。幼小中の子どもたちだけでなく、保護者や地域の人たちも、それぞれの関心や必要に応じてこの学校に関わり学び合う、そんな学校にしたいと考えています。
軽井沢と言うと、お金持ちの別荘地のイメージがありますので、時々裕福な家庭の子どもたちのための私立学校と誤解されてしまうのですが、わたしたちが目指しているのはそのような学校ではありません。あくまでも、地元の子どもたちのための「地域と共にある学校」です。寮などもつくりません。
ほんとうは公立学校をつくりたかったのですが、義務教育段階においては公設民営の公立学校の設置が法律で認められていないため、ひとまず私立学校の形を取りました。でも、経済的な理由で入学できないような子どもがいないよう、今さまざまな方策を練っているところです。