整形外科の研修医として働いた2年間
iPS細胞の医療応用ばかりに世間の関心が集まるあまり、純粋な科学研究がしづらくなっている面はないのか。山中自身、応用につながる研究に引きずられているという思いはないだろうか。
「あ、それはないです。患者さんの役に立ちたいと思って医学部に入りましたから。自分自身の基礎研究が役に立つ可能性がみえてきたのはとてもうれしいことですが、同時に正しく伸ばさないといけない。iPS細胞という技術はうまく育てると、ものすごく患者さんに貢献できる。ところが変に焦ったり功を急いだりすると、うまく育たない。そこはちゃんと育つのを見届けたい。使命感もありますよね」
山中は、神戸大医学部を卒業してから2年間、整形外科の研修医として働いた。
「けがをして指がだらーんとなっている患者が夜中に当直しているところに運ばれてきて、徹夜で一生懸命骨を整復し、周りの組織を縫い合わせ、次の日にちゃんと血がめぐるようになって指がつながっているのをみたときは、ものすごい充実感でした」
一方で、リウマチなど治療の難しい病気が多いことも痛感したという。そして研究者としての道を歩むことを決めたのだった。
iPS細胞は「人類進化の研究」に使えるかもしれない
山中には、新しい医療を患者に届ける、という明確なゴールがある。その目標を達成するために、iPS細胞という未知の細胞を「創造」したのである。そして、iPS細胞には、生命の謎の解明や治療法の開発だけでなく、未知の研究領域をひらく可能性もある。山中は語る。
「iPS細胞という技術をつかって、これまでできなかったようなことを、自分でもやりたいですし、若い人にもやってほしいという期待もあります。たとえばホモ・サピエンスとネアンデルタール人の進化の研究にiPS細胞が役立つ可能性があります。ホモ・サピエンスである現代人類のiPS細胞の遺伝子を操作して、ちょっとずつネアンデルタール人の特徴をもった遺伝子に変えて、そこから脳組織をつくって、脳のはたらきの違いを調べることだってできるかもしれません」
iPS細胞を、人類進化の研究に活用するというアイデアは私には初耳だった。山中と話していると、思ってもいなかった発想を聞かされることが間々ある。科学者というよりもクリエイターという印象すら受ける。山中が、科学の未踏の領域に足を踏み入れていることの表れなのだろう。