2012年にノーベル賞を受賞して以降、京都大学の山中伸弥教授の注目度は一気に高まった。ただし関心は「iPS細胞でどんな病気が治るのか」に集中している。受賞によって、純粋な科学研究がしづらくなることはないのか。京都新聞の広瀬一隆記者が、山中教授に聞いた――。

※本稿は、広瀬一隆『京都大とノーベル賞 本庶佑と伝説の研究室』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。

2018年4月11日、「新経済サミット2018」のトークセッションに登壇した京都大iPS細胞研究所の山中伸弥所長(写真=時事通信フォト)

研究者の枠を越えた存在となった山中伸弥

「ネクタイをし忘れたんですけど、写真撮影に支障ありませんか」

所長室に入ると、山中伸弥が声をかけてくれた。もちろんこちらとしてはふだんの姿で異存はない。これまで何度もインタビューしてきたが、常に気配りをわすれないのが山中だ。

この日の山中は顔色がよかった。過去には目が落ちくぼんで傍目にも疲れがたまった状態にもかかわらず、時間をつくってくれたこともあった。「3日後に京都マラソンに出場することもあって、コンディションがいいのかもしれませんね」。隣にいる研究所の職員がささやいた。

山中は今や、研究者の枠を越えた存在だ。毎年出場する京都マラソンでは、応援大使として盛り上げ役を担いながら研究への寄付も呼びかける。テレビへの出演も多い。そんな今の様子からは、かつて誰にも顧みられない研究をひっそりとつづけていたとは想像しづらい。iPS細胞が山中の人生を変えたのだ。

「人のiPS細胞をつくることに成功した2007年がいちばん印象に残っていますね」。山中は振り返る。「人のiPS細胞ができたときに、すべてが激変しました。それからは自分自身が実験することはほぼゼロになりました」。

ノーベル賞という「権威」で企業に変化

実用化が現実味を帯びるにつれて、ほかの研究者や政治家、官僚、企業関係者、そしてマスコミと多種多様な人々とのつきあいが必要になっていった。「そして2012年のノーベル賞のときは、その激変をもう一段加速したようなものでした」。山中は当時を思い出すように、少しうつむいて話した。

ただ、企業からの資金の流れ、という面ではノーベル賞というインパクトは大きかったという。「受賞の前は、非常に新しい技術だし、そこに飛び乗ってよいのかためらう心があったと思うんです。けれどノーベル賞という海外の権威ある賞が与えられたことで、企業の方のマインドにはずいぶん影響したのかもしれません」

iPS細胞は、これまで治らなかった病気に対する「夢の医療」として期待を集めている。一方でiPS細胞には、まだ謎も多い。どうしていったん皮膚など特定の組織に変化した細胞が、もう一度、初期化されるのか。詳細なメカニズムは、依然としてわかっていないのだ。