すごいのは「手足がない」からなのか

いつも先手先手で行動する乙さん。きっと幼い頃からの積み重ねなのでしょう。『五体不満足』を読むと、彼が幼少期から、障がい者でありながら健常者の過ごしている”普通の”社会に溶け込んでいくために努力してきたことがわかります。

「オトちゃんルール」と呼ばれる特別ルールで、あらゆるスポーツにも参加しました。水泳では「スーパービート板」の持ち込みを許されました。前例がなくても、予備校にも通いました。障がい者への偏見や差別が少なくはない時代で、まわりの人を巻き込んで一緒に生きていける環境をつくっていきました。

パワフルな乙さんの半生をつづった『五体不満足』。衝撃的な表紙とタイトルとは打って変わって、後ろ向きなエピソードが一切ない明るい半生記は、多くの人に、「手や足がなくても乙武さんはこんなに頑張ってるんだから自分も頑張ろう」と感じさせたのではないでしょうか。

僕自身もかつては部下に、「手や足がなくても乙さんは乗り越えてきたんだからお前らも頑張れ」と伝えてきました。でも、ある時ふと気づいたんです。乙さんから見習えることって、手足があろうがなかろうが関係ないのではないかと。

障がい者かどうかを決めるのは「環境」

乙さんは『五体不満足』のあとがきで、こんな言葉をつづっています。

五体が満足だろうと不満足だろうと、幸せな人生を送るには関係ない。

障がい者だからって、不当に隅っこに追いやられる必要はない。彼は決して悲嘆に暮れて立ち止まることなく、目の前に広がる社会の中で楽しく生きていく方法をたぐり寄せようとしてきました。その逞(たくま)しさに、健常者であれ、障がい者であれ、真似できる部分がある気がします。

乙さんは、ある人が障がい者かどうかを決めるのは、「環境」なのだと言っています。つまり、いま置かれている環境において、生活に困難が生じるから「障がい者」と呼ばれるのであって、全く別の世界では障がい者でも何でもないかもしれない。

この世界に絶対的な「障がい」なんてない。所詮すべての「障がい」と呼ばれている状態は、相対的なものでしかないんだなと気づきます。もちろん、ひとことに「障がい者」といっても、その種類や程度は人によってまちまちなので、すべてをいっしょくたに語ることはできませんが……。