「お茶目」で「ひょうきん」なところがあった

辻田 真佐憲『天皇のお言葉 明治・大正・昭和・平成』(幻冬舎新書)

たしかに天皇は、よくいえば「お茶目」で「ひょうきん」、悪くいえば軽率で無思慮なところがあった。皇太子の時分には自由に歩き回り、海岸で漁師に鯛を所望したり、山中で村民に道を訊ねたり、鳩を撃って寺の小僧に怒鳴られたり、エピソードに事欠かなかった。周囲はそのたびに大慌て、相手はあとで皇太子と知って恐懼するばかりだった。

践祚してからはさすがにおとなしくなったものの、奥では女官を追いかけ回して頰を「ペチョペチョペチョッ」と舐めたり、その手をがっとつかんだり、相変わらず自由奔放だった。聡明で知られる皇后(貞明皇后)もこれには機嫌が悪くなり、一時ヒステリーみたいになったという。

 

フランス語を使って女官をからかった

ただし、知的な能力まで後れを取っていたわけではなかった。天皇は皇太子のときから記憶力がよく、フランス語もある程度使えた。フランス語は、当時の列強王族や外交官の共通言語だった。そのため天皇は、来日したスペイン公使と長時間会話したこともあったらしい。自筆のフランス語の手紙も残されている。

天皇はこの能力で、女官をからかうことがあった。女官にフランス語のフレーズを教えて、これは「わたくしはばかではありません」という意味だからと伝え、向こうでいってこいと指示した。ところが、それはほんとうのところ、

あたくしはばかであります。

という意味だった。そのため、その女官は、フランス語がわかる侍従に「きゃっきゃっ」と笑われたのだった。天皇はこれに加え、朝鮮語も勉強していた。こちらも具体的な言葉があればいいのだが、残念ながら残されていない。