自分を含めて「すべてクソ」の批評精神

品川になくて有吉にあるもの。それは、自分を含むすべての存在を「クソ」と突き放す徹底した批評精神である。それは斜めから見ることがスタンダードになりつつある時代の空気にもぴったり合っていた。

この時期、ネットの普及によって、テレビをネタとして楽しむ風潮が生まれた。テレビの中で行われていることを素材として、SNSなどでそれに対してツッコミを入れたり、意見を交わしたりしながら楽しむというやり方が広まってきたのだ。テレビの世界が手の届かない特別な場所ではなくなった。ツッコミ目線でテレビを見るということが一般的になった。

共演者にも本音ベースの厳しい言葉を投げかける有吉は、そんな視聴者にとって最も信頼できる存在となる。有吉は「毒舌」だと言われることもあるが、無理に誰かを悪く言おうとしているわけではない。彼は常にテレビを見ている側の目線に立ち、彼らにとって深く刺さる言葉を選んでいるにすぎない。それが結果として毒々しく見えることもある、というだけのことだ。

有吉は徹底的にへりくだる。品川はクソ野郎だし、自分もクソ野郎だ。芸能人なんてそんなものだ。彼にはそんな割り切りがある。

テレビが建前を捨てた瞬間だった

かつてのテレビは、視聴者に華やかな夢を見せるものだった。だが、今のテレビは、徹底的にリアルを突きつける。テレビに出るタレントは、テレビそのものに対しても批評的でなければいけないという時代が訪れた。有吉やマツコ・デラックスのような批評精神のあるタレントが人気を博しているのはそのためだ。

歴史がイエス生誕の以前と以後に分けられるように、テレビの歴史も「おしゃクソ事変」の以前と以後に分けられる。あの瞬間からテレビは建前を捨てて、より本音志向になったのだ。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
ライター、お笑い評論家
1979年生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、ライター、お笑い評論家として多方面で活動。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務める。主な著書に『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)など多数。
(写真=時事通信フォト)
関連記事
本当は恐ろしい"男女で一線を越える行為"
富裕層は「スマホ」と「コーヒー」に目もくれない
頭のいい人がまったく新聞を読まないワケ
「マウンティング」のダサさに早く気づけ
一発屋で終わった「たけしの師匠」の素顔