「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」
1970年代半ば、松鶴家千とせ(しょかくや・ちとせ)は文字通り、一世を風靡した芸人だった。
〈俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。父さんは胸焼けで、母さんはシモヤケだった〉
「シャバラバ♪」とリズムを取りながら、東北訛で語りかけ、最後は「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」で締める。
76年5月発売のシングルレコード『わかんねェだろうナ(夕やけこやけ)』は160万枚を超える販売記録となった。『サントリー』『日清食品』『服部セイコー』など名だたる企業のテレビコマーシャルにも起用。その数は20社を超えた。テレビ番組のレギュラーを多数抱え、睡眠時間は一日3、4時間確保するのが精一杯だった。
松鶴家千とせが、成功の糸口を掴んだきっかけは、外見を変えたことだった。
「それまで髪の毛は短く、びしっと(固めて)して漫談やってました。でも、これじゃ駄目だとアフロ(ヘア)にするようになった。黒人のコーラスとかの人がそんな頭していたでしょ、あれをやりたいなと思って」
理容師免許を持っていた千とせは自分で髪をセットすることが出来た。
「割り箸を三つに折って、髪の毛を巻いたの。パーマ掛けるときに使うロットがなかったんだよね。割り箸が一番、キュっと巻けたんです。不揃いだったけどね。それで髭を伸ばして、サングラスを掛けたら、だんだん良くなってきた」
アフロヘア、あご髭、縦縞のスリーピース
髪の毛に合わせて、黒人のミュージシャン風の派手なスーツを身につけた。
「全然雰囲気が変わっちゃって、最初はあんた誰? みたいなもんだったよ」
アフロヘアにあご髭、縦縞のスリーピースと木訥(ぼくとつ)とした口調のミスマッチが笑いを生むことになった。その頃、彼は安来節(やすぎぶし)の常打ち小屋である浅草の木馬館を本拠地としていた。安来節の幕間で漫談をしていたのだ。
安来節は島根県安来市の民謡である。元々は鳥取県境港市のさんこ節が、近隣である安来の花柳界に伝えられて、安来節となったとされている。ドジョウすくいの踊りで知られる、花柳界の騒ぎ唄である。
「安来節ってね、赤い腰巻き巻いてお姉さんが5、6人ずつ、パッパッパッて、おしりを振って踊るんだ。エロティックなところもあったね。その後でぼくが出たら、お客さんがさーっといなくなるの。トイレアワー。ションベンしにいったり、煙草を吸いに行ったり。誰もいないところで20分近く漫談をやるわけです。そうやって出ていくお客さんを引き止めて、寝ているお客さんを起こすために、“イェーイ”ってやったんです」
千とせは両手でピースサインして、前後に大きく動かした。
「“イェーイ、わかるかな? わかんねぇだろうな”って」