「子どもは平八茶屋の敷地内で育ててほしい」

駅伝の襷を次世代に手渡すには、後継者づくりを考える必要があります。後継者を育てるというのは、自分の子どもであれ、弟子であれ、同じことです。一人前の当主、一人前の料理人に育てるためには、言葉だけでは十分ではありません。

「場の思想」と言いますか、子どもでも弟子でも、育つ環境から感じとる姿勢が大切です。この感じとる力によって自らが育つということが重要なのです。

これからお話しすることは、あくまで私、個人の考え方です。そのことをお断りした上でお話しします。長男で、21代の晋吾が結婚するときに、息子夫婦に頼んだことがあります。それは、平八茶屋の敷地内で暮らしてほしいということでした。当時、京都の料亭では、後継者の息子が結婚をすると、マンションなどを購入して店の外に住む傾向がありました。

しかし、私は「それはダメだよ」と言いました。「いずれ生まれる子どもたちは、平八茶屋の敷地内で育ててほしい」と頼みました。これが唯一、私が息子夫婦にお願いしたことでした。

いまから200年前に造られた母屋には調理場があり、その奥に息子夫婦が暮らしています。私たち夫婦はその母屋の棟続きの建物に住んでいます。

月曜日は寂しい思いをしていた小学生時代

「山ばな 平八茶屋」20代目 園部平八氏(撮影=永野一晃)

私もまた、子どもの頃は母屋で育ちました。私が小学生の頃は、朝起きると料理人がはいている高下駄の音を聞き、煮詰めの匂いを嗅ぎながら学校に向かいました。学校から帰ってくると、お店の皆がバタバタと仕事をしている姿が自然と目に入ってきました。

料理屋の当主の子どもは、土日祭日などは家族で遊びに出かけません。それは、サラリーマン家庭の場合です。小学校に通っている頃、月曜日が嫌いでした。月曜日の朝の時間や昼休みは寂しい思いをしました。

休み明けの月曜日、学校へ行くと、「昨日の日曜日、どこそこの公園に行ったんだ」「遊園地に行ったんだ」と遊びに出かけた話で、友だち同士で盛り上がるものでした。私はその輪の中に入れない子どもでした。

土日祭日の料理屋は稼ぎどきで、店がひっくり返るほど忙しい時でした。こんな日、料理屋の子どもには居所がありませんでした。家業を手伝う母親は食事をつくる時間の余裕などなく、食事もままならないことがざらでした。ですから、土日祭日明けの翌日、友だちが家族で旅行をした話などをするので、学校に行くのは本当に嫌だったものです。

しかし、こうした経験は料理屋の後継者として育つためには大切なことでした。知らず知らずのうちに、私は料理屋を継ぐ者としての心構えを学んでいきました。後継者に必要なのは、まずは遺伝子です。この遺伝子を育てるためには環境が必要です。環境から学ぶことが、先ほど触れた感じとる姿勢になります。