車の中という「匿名性と安心感」が過激化に拍車
(1)衝動制御障害
過剰反応する人の多くは衝動コントロールができない。怒りや攻撃衝動をうまく制御できないので、ちょっとしたことで怒り出したり、手を上げたりする。そのため、しばしば「キレやすい人」「かんしゃく持ち」などと周囲から言われている。
こうした衝動制御障害に、運転中は拍車がかかる。これは、車に乗ることによって匿名性と安心感を得られると本人が思い込むからだ。似たような車がたくさん走っていて、ちょっと見ただけでは区別しにくいので、少々乱暴なことをしても特定されないだろうと考える。
もっとも、実際には簡単に特定される。すべての車にナンバープレートがついているし、最近はドライブレコーダーを装備した車も増えているからだ。それでも、車に乗ることによって匿名性を獲得できると勘違いする。
また、車は鉄の塊なので、それに乗っていると守られているという安心感もある。とくに大きな車に乗っていると、この安心感が強くなる。そのため、車間距離を詰めたり、直前に割り込んだりしても、自分は大丈夫と思い込みやすい。
このように、車に乗ることによって匿名性と安心感を得られると本人が思い込むことは、「あおり運転」の重要な要因である。というのも、普段は怒りや攻撃衝動を何とか制御できている人でも、運転中は匿名性と安心感によって過激な行動に走ることがあるからだ。「運転中は人が変わる」と言われるのは、このタイプに多い。
大きな車や高級車に乗ると優越感や特権意識を抱きやすい
(2)思考停止
カッとして頭に血が上ると、仕返しすることしか考えられなくなり、思考停止に陥る。客観的にはどうであれ、少なくとも本人は「あの車のせいで邪魔された」「あの車が割り込んだせいで遅くなった」などと被害者意識を抱き、それから生じる怒りと復讐願望を募らせるからだ。
とくに大きな車や高級車に乗っていると、優越感や特権意識を抱きやすい。だから、「自分はこんなにいい車に乗っているのだから、特別扱いしてもらって当然のはずなのに、邪魔しやがって」と腹を立てる。その結果、自分の車の走行の邪魔をしたとみなす車に怖い思いをさせて、「自分の車はこんなにすごいんだ」ということを思い知らせようとする。つまり、「なめるな!」というメッセージを送って、自分の優位性を誇示したいのである。
(3)想像力の欠如
石橋被告が、被害者の車を追い越し車線で停車させたのは、こういうことをするとどのような結果を招くかということに考えが及ばなかったからだろう。追突事故が起こりうる可能性を想像できなかったからこそ死傷事故を引き起こしたわけだが、このような想像力の欠如は「あおり運転」にしばしば認められる。
車間距離を極端に詰めたり、直前に割り込んだりすれば、事故を起こす可能性があるのに、その可能性を想像できない。また、相手の車が恐怖を感じて警察に通報すれば、逮捕される可能性もあるのだが、そのことにも想像力が及ばない。平たくいえば「何も考えてない」わけで、だからこそ「あおり運転」という無謀な行為に走るのだともいえる。