他人の怒りコメントに乗じて怒る“便乗怒り”の心理
政治家や芸能人などの発言、あるいはネット上に掲載された記事がたびたび炎上する。その内容の是非はともかく、一部分だけを取り上げたり、ちょっとした言葉遣いをあげつらったりして、血祭りに上げる人が少なくない。
なかには、他の人が残した怒りのコメントを少し読んだだけで、輪をかけて激しい怒りのコメントを残す人もいるように見受けられる。さらに、発言や記事の元の文脈を無視しているとしか思えない人もいて、きちんと読んでいないのではないかと疑いたくなる。
こういう人は、いわば他人の怒りに便乗して怒るわけで、“便乗怒り”といえる。この“便乗怒り”の心理は一体どうなっているのだろうか。
分析すると、次の3つの心理が浮かび上がる。
(2)鬱憤晴らし
(3)優越感
(1)怒りの正当化
まず、「他の人も怒っているのだから、自分も怒っていい」と考え、自分自身の怒りを正当化する。これは、怒りを激化させる重要な要因である。なぜならば、「怒ってはいけない」というしつけや教育を幼い頃から受けてきて、怒ることに恥ずかしさと後ろめたさを感じている人が多いが、「他の人も怒っているのだから……」と思えば、そういう気持ちを払拭できるからだ。
いわば「赤信号みんなで渡れば怖くない」という心理が働き、他人の怒りを口実にして心理的な抵抗なしに怒ることができる。当然、怒りのコメントを残している人が他にも大勢いるほど、そして他のコメントが手厳しいほど、抵抗は小さくなる。
心理的な抵抗が小さくなると、怒りの対象だったはずの発言や記事の元々の内容も文脈もそれほど重要ではなくなる。なかには、そんなものはどうでもいいとさえ思う人もいるようだ。こういう人は、しばしば「誰でもいいからたたきたい」という欲望に駆り立てられている。だから、大衆のバッシングを受けている有名人は格好の対象であり、便乗してボコボコにたたくのである。