ゲス不倫の芸能人を責める人は正義感の衣をかぶせる

(3)優越感

そのうえ、怒ることによって優越感も味わえる。怒りのコメントが多いのは、たいてい不祥事や失言などがあったときなので、そういう“失点”を厳しく責め、そんな“失点”は自分にはないと強調すれば、自分のほうが優位に立てる。

この手の優越感は、相手が大物であるほど味わえる。当然、政治家や芸能人は絶好のターゲットであり、有名人の不倫スキャンダルが相次いで報じられた頃、ネット上は“便乗怒り”であふれていた。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/RaStudio)

有名人へのバッシングに同調した“便乗怒り”を目にするたびに、イタリアの思想家、マキアヴェッリの「人は、心中に巣くう嫉妬心によって、賞(ほ)めるよりもけなすほうを好むものである」という言葉を思い出す。

“便乗怒り”で怒りのコメントを残す人には、自分が嫉妬心を抱いているという認識はないかもしれない。これは当然だ。というのも、嫉妬心は恥ずべき陰湿な感情なので、そんな感情が自分の胸中に潜んでいることを誰だって認めたくないからだ。

厄介なことに、嫉妬心を抱いている自覚がない人ほど、正義感の衣をかぶせる。たとえば、「不倫するなんて人倫にもとる」「あんな暴言を吐くなんて政治家として失格」といった“正論”を吐く。

たしかに、不倫も暴言も“悪”であり、許されないことだが、それを厳しく責め、怒りのコメントを残す人の心の中に“悪”への欲望がみじんもないかといえば、はなはだ疑問である。実は、「自分も不倫したいが、妻が怖くてできない」「自分も会社で思い切り暴言を吐きたいが、そんなことをすればクビになりかねないので我慢している」という人が多いのではないか。

自分がしたくてもできないとか、我慢しているとかいうことを他人が易々とやってのけると、誰でも悔しい。だが、その悔しさを認めたくないので、正義感の衣をかぶせて、たたく。とくに相手が有名人であれば、嫉妬心もあいまって、バッシングが激しくなる。そして、それがさらに“便乗怒り”を誘発する。

弱い相手を怒ると、怒られた側もさらに弱い相手を怒る

“便乗怒り”が現在の日本社会に蔓延しているのは、それだけ鬱屈した思いを抱えている人が多いからだろう。そういう人は、怒りを向けるべき本来の相手が怖くて、怒れない。だから、「置き換え」によって、たたきやすい相手に怒りの矛先を向ける。

このように怒りの矛先がずれているのは危険だと私は思う。誰かがあまり関係のない弱い相手を怒ると、怒られた側もさらに弱い相手を怒る。こうして、怒りの“とばっちり”がどんどん連鎖していくと、そもそも何について、誰に対して怒っていたのかが次第にあいまいになる。

ですから、みなさん、自分が本当に怒りを覚えているのは誰なのか、その相手に怒れないのはなぜなのかを分析して、きちんと怒りましょう。

(写真=iStock.com)
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