道路は、自己顕示欲・承認欲求を満たす「最高の舞台」
自己顕示欲と承認欲求
石橋被告は、昨年6月の東名高速での「あおり運転」事故だけでなく、山口県での交通トラブルをめぐる強要未遂罪2件、器物損壊罪1件にも問われ、あわせて懲役18年を言い渡された。彼に限らず、「あおり運転」をさまざまな道路で繰り返すケースが多い印象を受ける。
これは、「あおり運転」に走りやすい人は、衝動コントロールができないことに加えて、自己顕示欲と承認欲求が強いからだろう。もちろん、自己顕示欲も承認欲求も誰の心の奥底にも潜んでいるが、「自分はこんなにすごいんだ」と誇示したいとか、他人に認められたいという欲求が満たされていれば、そういう欲求を「あおり運転」で満たそうとする必要はないはずだ。
たとえば、ボランティア活動が認められて表彰された人、あるいは職場で自分の能力を評価され、やりがいを感じて働いている人は、自己顕示欲も承認欲求も満たされているので、それを「あおり運転」で満たそうとはしない。
やはり「あおり運転」に走る人は、自己顕示欲も承認欲求も満たされていないので、それを道路という舞台で満たすしかないのだと思う。石橋容疑者にとって、道路は最高の舞台であり、そこでしか自己顕示欲と承認欲求を満たせなかったのではないか。
裏返せば、それだけ欲求不満が強いということで、「あおり運転」以外に欲求不満のはけ口がなかったのだとも考えられる。他の車のドライバーに恐怖を与え、自分の優位性を誇示するくらいしか、日ごろの欲求不満を発散する手段がないのだろう。
「あおり運転依存症」は治療を受けさせるのが望ましい
「アディクション(嗜癖)」の可能性
うがった見方をすれば、「あおり運転」によってある種の快感を味わったため、やめられなくなった可能性も考えられる。このように、快感を与えてくれる行為をやめられなくなり、病みつきになることを精神医学では「アディクション(嗜癖)」と呼ぶ。薬物やアルコールに依存するのと同様に行為に依存するわけで、「行為への依存症」ともいえる。
ギャンブル依存症、買い物依存症、ネット依存症などは、この「アディクション」の範疇に入る。最近、万引きで逮捕・起訴された元マラソン選手の女性が、執行猶予付きの有罪判決を受けた際、「クレプトマニア(窃盗症)」と診断されたことを告白して話題になったが、これも「アディクション」の1つである。
「あおり運転」を何度も繰り返すドライバーは、その行為によって快感を覚え、やめたくてもやめられなくなっている可能性が高い。だから、「あおり運転依存症」とみなし、「アディクション」の治療を受けさせるのが望ましい。また、やめなければならないという自覚を持たせるためにも、厳罰に処すべきである。