アメリカで「ヨシダのグルメソース」旋風を巻き起こし、「世界のソース王」の異名を持つヨシダグループ会長・吉田潤喜氏。4度の倒産の危機に見舞われながらも年商250億円のグループに成長できたのは、業界の異端児だった会員制大型スーパー「コストコ」のおかげだったという――。(後編/全2回)
母の味を再現したソースを売り、アメリカで大成功した吉田潤喜氏
写真提供=ヨシダグループ
母の味を再現したソースを売り、アメリカで大成功した吉田潤喜氏

前編から続く)

コストコ創業者との出会いは約40年前

「金儲けより、人儲け」とは、吉田がよく口にする言葉だ。人とのご縁を大切にして、相手に恩返しをする心が、仕事においても人生においても大事、という意味でこう言う。

ソース造りにかけた41年間に、「人儲け」で出会った人々は数多くいる。なかでも、吉田にとって、自分の人生を大きく導いてくれた「メンター」と呼ぶ人が、1人は母親、もう1人は最愛の妻リンダ。そして、コストコの創業者ジム・シネガルだ。

コストコの共同創設者兼元CEO、James Sinegal
コストコの共同創設者兼元CEO、James Sinegal(写真=US Department of Labor/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

ジム・シネガルがいなければ、世界のヨシダグルメソースは誕生しなかったという。

彼との出会いは1983年、コストコ2号店で吉田がへんな東洋人の売り子のスタイルで実演販売をしている時だった。

この頃のコストコは創業したばかりで、業界は会員制販売方式のコストコを異端児扱いしていた。その分、ヨシダフーズのようなローカル企業でも取引ができたのだ。

ソースを売り込む「パッション」をべた褒め

カウボーイハットを被った吉田は「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」と声を掛け、集まった客に試食してもらう、という定番の実演販売をしていた。そこに、いつも試食だけして買わない客が来ていた。

この日も試食だけして立ち去ったため、客を駐車場まで追いかけ、「何個も食べていたのに買わない理由は味のせいなのか、何が悪いのか教えてほしい」と頼み込んだ。

味はおいしいと答えた客に、「1本サービスであげるから、1本買ってほしい」と食い下がると、根負けした客は店に戻って2本買ってくれた。この様子を一部始終見ていたのがジム・シネガルだった。