一番弟子はレスリングのチャンピオンでもあったプラトン。彼は「イデア(1)」という真理の世界があると考えました。例えば三角形。現実には、幾何学的に正確な三角形は存在しないのに、人間が考えることができるのはなぜか。純粋な三角形はイデア界に存在していて、我々はそのイデア界を見ているからだというわけです。同じようにイデア界には厳密で純粋な美、正義、国家など究極の理想も存在する。
このイデアを学びとった者が王となり、国を統治すべきだというのがプラトンの唱えた「哲人政治」です。ソクラテスという師匠を死刑に追いやった民主政治への不信、反動かもしれません。
そのための教育機関としてアカデメイア(2)をつくり、そこで学んだのがアリストテレス(3)です。ですが、彼はプラトンのややこしいイデア論を批判しました。むしろ、現実にあるものをよく観察し、その特徴を整理することで真理が見えてくるはずだ、と考えたのです。
――恩師に逆らうとは。
真理探究のためです。実際、弟子たちを引き連れて、年寄りはさっさと引退しろとプラトンの家に押しかけたそうです。で、彼もリュケイオン(2)という学校をつくり、天文学、動物学、植物学、地学などの学問をスタートさせています。
(1)実在するとプラトンは考えていた。イデアが存在する永遠不滅の世界をイデア界、私たちが住む絶えず変化する世界を現象界とした。
(2)アカデメイアもリュケイオンもユスティニアヌス帝により、異教であるとされ、529年に閉鎖された。
(3)アリストテレスはマケドニアの生まれ。アレキサンドロス大王の家庭教師も務めた。大王の没後、ギリシャでは反マケドニアの機運が高まり、アリストテレスは裁判に召還される。しかし、師匠筋にあたるソクラテスとは違い逃亡をする。そして逃亡先で病に倒れた(諸説あり)。