ナチスのプロパガンダ神話に踊らされている

そのため、プロパガンダの危険性については常に腰の引けた言い方とならざるをえない。「それは、効果があるかもしれない。しかし、ないかもしれない。ただ、あるとすれば問題である(だから、対策を考えなければならない)」と。歴史上のこととなれば、なおのことそうだ。

それに加え、ナチスの場合厄介なのは、ナチス自身がみずからのプロパガンダを誇示したことだ。「われわれは、プロパガンダで勝利した」。その宣言自体がプロパガンダの一種だった。

ヒトラーは1933年1月に首相に就任したが、それは保守派との政治的な駆け引きに成功したからであって、巧みなプロパガンダで国会の過半数を掌握したからではなかった。有名な宣伝省が設置され、潤沢な国家予算が投じられるようになったのは、同年3月以降である。

つまり、ナチスのプロパガンダを安易に評価すること自体が、実はナチスのプロパガンダ神話に踊らされている可能性があるわけだ。

親衛隊(SS)の制服が愛好される理由

むしろ今日のナチス的意匠の愛好は、サブカルチャーの文脈で理解されるべきだろう。

さきほど漆黒の制服などの、ナチス的意匠の特徴をあげた。だがそれは主に、ナチスの準軍事組織である親衛隊(SS)の制服の特徴だった。

なぜ親衛隊ばかりが注目されるのか。ナチスにはさまざまな組織が存在し、それぞれ制服が定められていたにもかかわらず。親衛隊の制服が特段優れていたからだろうか。そうとは言い切れない。

その理由は、以下のように考えたほうが整合性がつく。

第二次大戦後の世界において、ナチスは、わかりやすい「悪の標準器」となった。価値相対主義が広がり、「正しい」とは何なのかさえ疑われるなかで、ナチスは「これだけは絶対にダメ」という、揺るぎない基準として君臨し続けた。

そのなかでも親衛隊は、(ヒトラーを除けば)もっとも典型的な存在だった。というのも、秘密警察や強制収容所など、ナチスの負の部分の多くを担ったからである。まさにナチスの象徴、悪のなかの悪。それが親衛隊だった。