機械的に排除しても繰り返される

ナチスの意匠は、「権威への服従」と「集団行動」を効率的に結びつけることにたけている。みんなで同じ服を着て、みんなで指導者に服従し、みんなで同じスローガンを叫び、みんなで敵を攻撃する。「言われたからやっているだけ」「みんなもやっている」。人はこうすることで、責任感から解放され、欲望のまま過激な行動に走ってしまう。

甲南大学教授の田野大輔は、「ファシズムの体験学習」の成果を踏まえて、「ファシズムが上からの強制性と下からの自発性の結びつきによって生じる『責任からの解放』の産物だ」と指摘している。

ナチスの意匠は、このように使われるからこそ問題なのであって、AIのように単に機械的に排除すれば済むわけではない。それでは別の意匠によって、同じことが行われてしまうだけだろう。

独立した個人として考えることこそが反ファシズム的

実際、昨今そのような事例が散見される。たとえば、SNSでインフルエンサーが「あいつを叩け!」といえば、そのフォロワーが一斉に襲いかかる。その大義名分は「レイシスト」でも「反日」でも構わない。自分たちは正義なのだから、いくら叩いてもよい――。かくてその言動は、際限なく過激化していく。

今回のBTSにせよ、前回の欅坂46にせよ、そのバッシングには明らかにこのようなものが混じっていた。サブカルチャーにおける痛々しいナチス的意匠の愛好よりも、こちらのほうがはるかに危険ではないか。

ナチスが現在も「悪の標準器」であることは変わらない。今後もその意匠は絶えず使われ続けるだろう。だからこそ、個人としては、記号に脊髄反射するのではなく、その使われ方に注目し、ひとつずつ判断していきたい。

というのも、集団や党派に依拠せず、独立した個人として考え、判断することこそ、「言われたからやっているだけ」「みんなもやっている」からもっとも遠く、それゆえに「責任からの解放」からも無縁でいられる、本当の意味で反ファシズム的なあり方だと考えられるからである。

※参考文献
佐藤卓己(編)『ヒトラーの呪縛 日本ナチカル研究序説』上下巻、中公文庫、2015年。
田野大輔「ファシズムは楽しい? 集団行動の危険な魅力を考える」『imidas』、2018年。

辻田 真佐憲(つじた・まさのり)
作家・近現代史研究者
1984年大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒、同大学院文学研究科中退。現在、政治と文化芸術の関係を主な執筆テーマとしている。著書に『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)など多数。
(写真=AFP/時事通信フォト)
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