トイレの水流の音をすべて聞き分けることができる

勇太くんは風貌のとても魅力的な17歳の子で、きりっとしたたたずまいが学者や修行僧のようでした。IQは37、精神年齢は5歳8カ月くらい。自閉症はどうしても「自閉」という言葉にとらわれ、自分の内側の世界にこもっているイメージを持たれがちですが、彼は家の中を常にスキップでもするように走り回っていました。

松永 正訓(著)『発達障害に生まれて-自閉症児と母の17年』(中央公論新社)

そして、走り回るのが終わると今度はイヤホンを付けてパソコンに向かい、トイレの水が流れる様子を映した動画を見続けます。彼は街のトイレに執着を見せる子で、一度見たトイレの型番を暗記しているだけではなく、その水流の音をすべて聞き分けることができるのです。自閉症の子は驚くような記憶力や音楽的な才能などを発揮するケースがありますが、そうした驚異的な記憶力や音感に圧倒されました。

動画を見終えた勇太くんは、再び家の中を走り始めました。「お母さん、これっていつまでそうしているんですか」と聞くと、彼女は「ずっとです」と言う。これは大変なご苦労をなさってきたのだなと思いましたが、ただ、一方で彼のパニックや自傷行為が激しかったのは小さい頃のことで、彼女には子育ての最も大変な時期を乗り越えたという明るさがありました。親からすれば、それでも「ずいぶんと落ち着いたなぁ」という気持ちだったのでしょう。

「こんな子は置いて帰る」とさえ思いつめた

――本を読むと、そのお母さんも勇太くんの障害を受け入れるのにかなり時間がかかったようですね。

インタビューを行い、この本を書きながら気づいたことがありました。それは、親にとって子供の障害を受け入れるということは、言い換えれば「期待した子供の死を受け入れること」と同じなのだという考え方です。

親は子供を授かったとき、元気な子が生まれてくることを誰もが期待します。だからこそ、生まれてきた子に重い障害があったそのとき、親が直面するのは「期待した子供の死」であるのです。

勇太くんのお母さんがまさしくそうでした。彼女はわが子の様子に違和感を覚え、成育医療センターに行きます。ですが、最初は「自閉症」という診断をどうしても受け入れられず、「こんな子は置いて帰る」とさえ思いつめます。そして、診断を下した医師に対して怒りを覚え、その怒りとともにドクターショッピングをしていくのです。

しかし、複数の医師から同じことを言われ、彼女はついに診断を受け入れました。そして、次は「療育」を一生懸命にやれば、勇太くんが「普通の子」になれるのではないかと期待します。