「われわれが新たに豊洲ブランドを作る」
《10月6日、築地最後の夜明け前》
この日も一番マグロは山口が競り落とした。
山口「すごい相場だった。死ぬ気で買っちゃったもん。いくら損するんだろうって相場だったね」
翌日からは移転準備で市場が閉まるため、注文は殺到した。だが、夕方になると空気は一転し、最後の仕事が終わらぬうちに引っ越し業者がやって来た。
山口「36年間、ここに通い続けたんだな。いったんこの形が終わるのかなって色んなことを思うね。言葉に表せない。若い時はマグロもわかんないで、それが一人前になって、築地で一番のマグロが買えるようになる。短時間の間にいろんなことを思ったね」
マグロは泳ぎ続けなければ死んでしまうという。山口もマグロのような生きざまなのかもしれない。
《10月11日、豊洲市場開場日》
この日も1番マグロを競り落とした山口は、どこか吹っ切れたような顔をしていた。「もう豊洲に来たんだから」とほほ笑む山口の表情には迷いがない。明るい未来しか見ていないようにも見えた。
山口「世界の人が注目する市場にするかしないかはわれわれの努力だと思う。ブランドって引き継ぐものじゃなく作っていくものだと思う。われわれが築地の時みたいにプロ意識をもって頑張ってやれば豊洲ブランドは自然にできる」
築地でも豊洲でもいい。山口のいるところでマグロは動いている。
1963年東京出身。築地で仲卸の一番番頭を務めていた父のもとで育ち、大学2年生で父の店「やま幸」の手伝いに入りマグロの虜となる。以来、マグロ一筋36年。その優れた目利きと仕入れで一目おかれる存在になり、半店舗程度の大きさだった店を31店舗に拡大させた手腕の持ち主。曰く「成功の秘訣は飽きずにやり続けること」1日にマグロの握りを50貫以上は食べるという大のマグロ好き。55歳。