【佐藤】9月17日ですよね。私の初公判の日だった。小泉訪朝のおかげで、私の裁判の記事が小さくてすんだ。個人的には、小泉訪朝には感謝しているんです。あれがなければ、一面トップで書かれていたかもしれません。
ただし、あの交渉には大きな問題があった。首脳会談を実現させた外務省の田中均が北朝鮮との約束を破ってしまったのです。
【片山】もともとは拉致被害者を2週間後に北朝鮮に帰す約束でしたね。
【佐藤】そうなんです。この外交には、小さな約束と大きな約束の2つがありました。小さな約束を守ったからといって、大きな約束を履行するとは限らない。ただし小さな約束に従わなければ、大きな約束に踏み切れない。
この場合、拉致被害者を2週間で北朝鮮に返すという小さな約束のあとに日本は経済支援を行い、北朝鮮は核と弾道ミサイルを廃絶するという大きな約束が履行されるはずでした。
【片山】しかし帰さなかった。いえ、日本の世論を考えれば、帰国させられる状況ではなかった。
世論を読めなかった田中均
【佐藤】その世論の動きを読めなかったのが、田中均の最大のミスだった。外交官が両国からよく見られようとしたら交渉なんてできません。北朝鮮からは植民地主義の反省がないと叩かれ、日本でも北朝鮮の手先だと罵られる。そのぎりぎりのなかで交渉をまとめ上げなければならない。
彼は、約束を果たせなかった責任をとって辞めるべきだった。そうすれば、北朝鮮にも顔向けができた。ほとぼりが冷めたら政治家か、政治任用で田中に北朝鮮外交担当の職を与えることもできたわけですから。でも田中にはその覚悟がなかった。約束を履行できなかった責任も取らずに、先頭に立って北朝鮮を叩きはじめた。