「心」は周囲の環境に開かれている
人間は、何かしらの道具や人工物がないと思考ができない生き物である──そうした観点から、私たちは「心」についての見方も大きく変える必要があるとクラークはいう。これまで、とりわけ西洋では「心を、自然界のその他の部分からきっぱり区別されるほどに、根本的な点で特別なものと見なす傾向」が強かった。
しかし人間の心は、生まれながらのサイボーグとして、自然や人工物、周囲の環境に開かれている。だったら、心を環境から切り離された閉じたものと見るのではなく、周囲にも拡がったものと考えたほうがいい。こうした心の見方をクラークは「拡張された心」と呼んでいる。
それでは、クラークの提唱する「拡張された心」というアイデアを、前回紹介した「二重過程理論」にあてはめると、どのような示唆が得られるだろうか。
脳は論理学が苦手でフリスビーが得意
二重過程理論とは、ヒトの心には、直感的な「速いこころ」と、理性的な「遅いこころ」という二種類の情報処理システムが重なって存在している、という考え方のことだ。
合理的な判断や論理的思考を担う「遅いこころ」は、「速いこころ」に比べて、立ち上がりも処理速度も遅い。クラークに言わせると「脳は論理学が苦手でフリスビーが得意である」らしい。
先述したように、私たちは、複雑な論理や計画立案を頭のなかだけで処理することはできない。脳単独の働きとしては、理屈(=論理学)よりも直観的な判断や行動(=フリスビー)のほうが得意なのだ。
だが人間は、ノロマな理性の働きを、周囲の環境に拡散させる能力を持っている。紙とエンピツがあれば複雑な計算ができるし、手帳があれば半年先の予定も立てることができる。クラークは別の著書で次のように述べている。