アベノミクスの三本の矢にしても、結局どれがどうなっているのか、評価が定まらないうちに、「一億総活躍」とか次の話をはじめるでしょう。

経済成長に行き詰まった今の先進資本主義国家に特効薬となる経済政策なんてないんですから、三本の矢という話自体がどこまで本気だったのか、私にはよくわからないのですが、それでもあれだけ掲げていたからには、納得のいく評価をして、それについての論戦がないといけない。それが政策というものでしょうが、「道半ば」という決まり文句と、複雑化する経済現象をますます複雑にして煙に巻くような数字を並べて、アベノミクスが成功しているのか失敗しているのかについてのかみ合った議論が展開されない具合になっている。

逆説的にいえば、ある程度の思想性と一貫性があって結果に対する評価も容易な経済政策に取り組んでも現今の資本主義の状況では失敗率が高く、責任を取ると明言していたらたちまち政権は終わってしまう。そこで安倍政権ははなから一貫性を放棄している。それが長期政権に結びついているのではないでしょうか。曖昧性と刹那性の組み合わせでできていて、批判者が政権に思想的実体があると思って拳を振り上げても、霧みたいなもので叩けない。

作家の佐藤優氏(左)と慶應義塾大学法学部教授の片山杜秀氏(右)

裏表がなく、誠実ではあるが……

【佐藤】一方で、状況の変化には非常に強いともいえますね。よく言えば柔軟に、悪く言えば場当たり的に対応をしてきて変化を乗り切ってきた。片山さんが指摘するように、そこに一貫性や思想はない。強いて言うならばポストモダニズムを体現した政治家です。

【片山】それも平成的だと言えるでしょうね。よく言えば、臨機応変だから誰も安倍政権を倒せない。言葉に中身がない上、発言がころころ変わるから追及もできない。

佐藤さんの安倍晋三評はいかがですか。

【佐藤】基本的にいい人なのではないですか。京都的に言うと「ええ人、ええ人、どうでもええ人」ということになる。いい人で情に篤いからお友達を大切にして意見に耳を傾ける。あとは裏表がない。発言に対する誠実性も基本的にはある。

けれども、安倍首相は実証性と客観性を無視して、自分が欲するように世界を理解する反知性主義者です。だから政治家は知識を蓄えれば蓄えるほど悪人になるわけですが、彼はいい人のままでいられるのでしょう。彼に国家戦略や安全保障、経済政策を求めるのは、魚屋にアスパラガスを買いに行くのと一緒のように思えます。