アチソンは「国民党や共産党が協調し、中国統一政府を成立させなければ、アメリカは中国に援助をしない」(*3)と述べています。アチソンのこの発言は愚かでした。共産党はアメリカに対し、援助を求めるどころか、アメリカ軍の中国からの撤退を要求していました。アチソンの発言により、共産党はアメリカを中国から退出させるために、統一政府の樹立を是が非でも阻止しようと動くようになり、アチソンの意図した方向とは真逆の方向に、事態が進んでいってしまいます。
ついに国共内戦に突入
共産党の態度硬化に伴い、蒋介石ら国民党も強硬化し、1946年6月以降、両勢力は全面戦争に突入します(「国共内戦」)。「寛容さ・公正さ」を気取ったアメリカのやり方が裏目に出たのですが、トルーマンは責任を蒋介石に転嫁しました。トルーマンは8月に、蒋介石の好戦的な態度が内戦につながったとする非難声明を発表しています。
「平和の使徒」ともてはやされたマーシャルはアメリカに召喚され、アメリカ軍も中国から撤退し、「アメリカは中国内戦に関与しない」と表明されました。まるで、「腫れ物に触る」かのようなおじけづいた行動でした。
国民党は戦前から党幹部の汚職・腐敗が絶えず、国民から不信の目が向けられており、インフレの加速など経済政策でも失敗し、支持を失っていました。当初、兵力の上では国民党は共産党よりも優位でしたが、次第に形勢が逆転し、追い込まれていきます。
窮した蒋介石はソ連に接近します。満州の権益を譲渡する代わりに、共産党への支援を控えるよう密約を結びました。それでも国民党勢力は共産党に押され、ついに1949年4月、国民党政府の首都南京が陥落。蒋介石らは台湾へ逃亡します。
結果として、中華人民共和国が建国され、中国はソ連など共産主義陣営に属することになります。この期間、アメリカの対応は後手に回り、その及び腰を狡猾(こうかつ)な毛沢東ら共産主義者に見透かされ、彼らの暗躍を許しました。広大な中国の国土が、赤く染められてしまったのです。