デジタルテクノロジーで顧客体験の期待値が上がった

【遠藤】会社全体のKPIを再設計するということになると強いリーダーシップが必要になりますね。ただ、KPI含め、今のやりかたを変えるには「必然性」がなければ無理だと思います。多くの企業が本気で顧客体験にフォーカスしている背景にはどんな危機感があるのでしょう?

【ハセラル】たとえば10年ほど前から銀行は顧客ロイヤルティに真剣に取り組み始めました。次に通信会社、そして保険会社……。こうした業界では、かつては顧客側にも高い顧客サービスを受けられるという期待が薄く、「お客様のため」を考えることが商売の基本であるという認識が希薄になりがちでした。それが変わってきたのは、こうした業界が往々にして依存していた顧客の惰性や商品の複雑性といったネガティブなドライバーによって得る利益よりも、顧客ロイヤルティのようなポジティブなドライバーによって得られる利益のほうが大きいということに気付いたからです。その背景にはテクノロジーによる環境の激変があります。顧客体験などさほど気にしなくてもよかった企業も、もはや同業他社に出し抜かれなければそれでいいという状況ではなくなっています。エアビーアンドビー、ウーバー、アリババ、ウィーチャット、グーグル、フェイスブック、アマゾンといった企業によって、顧客の期待値が全体的に上がっています。どんな業界にいても、こうしたテクノロジー企業の提供する顧客体験が基準になるのです。

【遠藤】一方で、顧客第一とうたって一時期徹底して取り組んでいるように見えた企業でもそれが継続できなくて、逆に顧客ロイヤルティを下げているケースも見受けられるのはなぜなんでしょう。

【ハセラル】顧客から高く評価され続けている企業とそうでない企業の違いは、特に業績が悪いとき顧客をどう扱うかに現れます。顧客志向でありさえすれば、危機が避けられるわけでも、コスト削減が必要なくなるわけでも、難しい決断をしなくてすむわけでもありません。難しい決断を行うときに顧客への影響をまっさきに考えるかどうかが試金石になります。コスト削減する場合はどこから削っていくのか。トップが顧客第一主義を何か別なものにすり変えた瞬間、現場も顧客を第一に考えなくなります。トップの1つの決定が、現場の10000もの小さな行動につながるのです。

NPSを成長につなげられているのは上場企業の1割強

【遠藤】顧客体験は常に経営課題のひとつにはなっていますが、それを中心に全体を再設計するとかマネジメントを刷新するまでには至っていない。日本は現場における接客のレベルは高いですが、経営にホスピタリティが足りていません。

【ハセラル】現場がいくら素晴らしいホスピタリティを発揮してもバックエンドが顧客の「より簡単に」「より速く」のために協力しなければ顧客体験は向上しません。まずは信念を持った人が行動を起こすことからです。通常、マネジメントから行動を起こすことはありません。NPSについても、現場の判断でまずは部分的に導入し、プロトタイプをつくって、顧客も従業員もハッピーになることを証明しながら浸透させていくことが多いです。いきなり全社で導入したところで、うまく活用できないでしょう。

【遠藤】どれぐらいの数の上場企業がNPSを導入しているのでしょうか。

【ハセラル】何千もの会社がNPS測定はしていますが、そこには3つのグループがあります10~20%の会社は結果を出しています。現場主導で部分的には取り組んでいるが、リーダーシップのコミットメントがなく、会社全体としての取り組みにはなっていないところが30~40%。こういうところではNPSはたとえば10あるKPIのうちの1つにすぎません。つまり、本気で取り組んでいないのです。残りが測定はしているものの、それを行動につなげられていない会社です。

[著者]フレッド・ライクヘルド、ロブ・マーキー[監訳]森光 威文、大越 一樹[訳]渡部 典子『ネット・プロモーター経営』(プレジデント社)

【遠藤】産業別に違いはありますか?

【ハセラル】どの国でも競争が激しい業界であればあるほど、いち早く取り組んできました。銀行などの金融機関はここ10年で非常に進みました。オンラインバンキングが始まってから顧客エクスペリエンスに対する関心は急激に増したのです。通信やBtoBの企業においても関心は高まっています。かつては顧客エクスペリエンスとコストダウンはトレードオフとされてきましたが、デジタルテクノロジーによって、顧客のエクスペリエンスを向上させると同時にコストを下げることができるようになりました。かつては通常のルーティン業務で顧客に感動を与えることなど考えられませんでしたが、スマホアプリの出現でそれができるようになりました。顧客のロイヤルティを高く維持するためには、常にサービスに慣れて当たり前になってしまう前に期待を上回り続ける必要があります。それがより高次の経営目標と結びついてこそ、顧客ロイヤルティが大きな収益をもたらすのです。

リチャード・ハセラル(Richard Hatherall)
ベイン・アンド・カンパニー パートナー
アジアパシフィックのNPSをはじめとする顧客戦略のリーダーで、20年以上にわたりイギリス、米国、アジアパシフィックの国々でのコンサルティング経験を持つ。顧客戦略、特に金融部門での知見が深く多くの企業での顧客戦略を支援してきた。現在は香港オフィスをベースにグローバルにコンサルティング活動を展開している。ケンブリッジ大学経済学部卒。
遠藤直紀(えんどう・なおき)
ビービット 社長
1974年生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。アメリカへの留学を通じてインターネットに興味を持つようになり、ソフトウェア開発会社に入社。その後アンダーセンコンサルティング(現・アクセンチュア)を経て、2000年3月ビービットを設立。著書に『売上につながる「顧客ロイヤルティ戦略」入門』『ユーザ中心ウェブサイト戦略』などがある。
(聞き手=ビービット社長 遠藤直紀 構成・撮影=プレジデント社書籍編集部)
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