ただ、これらはあくまでも主催者サイドの「漠然とした意向」にすぎず、この時点でそれ自体が参加者を大きく誘導するようなパワーを持ち得ていたとは言い難い。むしろ着目すべきは、(こういった主催者の「想い」も含めた)フェスの中に存在する小さな種火のようなものを参加者が拾い上げて独自に大きくしていった、ということではないだろうか。「フェスはライブ以外のことも楽しい」という一部メディアで言われていた話を、「音楽がわからなくてもそっちで楽しめばいい」と拡大解釈したり、普段とは違うロケーション・違う服装で写真を撮ればSNSにアップしやすいと考えたり、あまり知らないアーティストの音楽だったとしても、その場でわいわいしてフィジカルな楽しさを覚えることに意味を見いだしたり……そして、参加者がいわば「発見」したフェスの価値を、運営側は「主役である参加者の自由が発露された結果」としてスムーズに受け入れていった。その結果が、今のフェスでは当たり前となっている動線の整備や飲食面のさらなる充実のための投資である。もしも「いろいろ用意してくれているのは分かるけど、自分たちはとにかくライブがしっかり見られるのであればOK」というような参加者が大半だったのであれば、このような取り組みはここまで行われていなかったはずである。
参加者と主催者の「協奏のサイクル」
参加者が自主的に楽しみを見つけてフェスの価値を(ある意味では勝手に)拡張し、運営側もそれを追認する。それによって、フェスは形を変えながら成長する。参加者と運営側がどちらからともなく連携することで生まれるこの流れを、本書では「協奏のサイクル」と名づける。この「協奏のサイクル」は、以下の5つのステップによって構成される。
1.商品/サービスの提供
2.顕在化していない価値へのユーザーによる着目
3.ユーザー起点での新たな遊び方の創出(異なる概念との組み合わせ含む)
4.企業が当初想定していたクラスターとは異なる層によるファンベースの拡大
5.企業による新たなユーザー層・楽しみ方の取り込みとそれに合わせたリポジショニング