「自由を謳歌してください」と発破をかけられながら、各自がそれを追求しすぎるとフェスそのものが破綻してしまう。このアンビバレントな状況に、受動的な姿勢で対応するのは困難である。だからこそ、運営側は参加者が能動的に動くのを期待して「主役」「参加者がフェスを作る」というメッセージを継続して発しているのだろう。

ただ、ここまでの話は「会場の雰囲気をいい感じにするためには、参加者全員が思いやりを持って行動しましょう」という類のいわば道徳の域を出ない内容でしかない。「自由を与えられた主役」としてのフェスの参加者は、その行動によってフェスというエンターテインメントのあり方そのものを変革していっている。

主催者側の「祭り」志向

たとえば、前述のとおり当初は「豪華な出演者」が最大の売りとなっていたフェスが、美味しいご飯と仲間との夏気分を楽しむ空間として広く認知されるようになったのはなぜか? そこにさらに一期一会の出会いの場というような側面が付与されたのはなぜか? 「“音楽以外の楽しみもあるお祭り”になるように主催者側が仕向けた」という側面も確かにあるとは思う。フジロックを立ち上げた日高氏は自著『やるか Fuji Rock 1997-2003』(阪急コミュニケーションズ)の中で「フジロックという場を、音楽を聞かなくても、そこを見て歩くだけでも面白い、そんなところにしていきたいんだ」(P5)と語っているし、ライジングサンのプロデューサーでもあるWESSの山本氏も「日経エンタテインメント!」(日経BP社)04年10月号のインタビューで「1年目(99年)はライブのみでステージも1つでしたけどね(中略)だけどそのころからやりたいことはたくさんありました。展望台は去年からですが、本当は気球をあげたかったんです」(P77)とコメントしている。