75年4月に入社し、座学の研修を終えると、各自が1人の先輩について1カ月半、営業のイロハを教わった。それを東京支店の営業で経験し、指導役の先輩は「きみは、まだ会社のこともビールのこともよくわからないだろうが、きみにもできることが1つある。それは努力だ。知識がなくても1日に20軒、全営業日に10年間、得意先を回り続けたら、間違いなく一流の営業マンになる」と言った。その言葉通り、始まって1週間で「1人で朝から晩まで毎日20軒、回ってこい」と放り出される。
当時は朝日の市場シェアが低落し、業界で「夕日ビール」と揶揄されていた。何度も悔しい思いをしたが、最初に学んだこの「非凡な努力」が、いまの原点だ。
もう1つの原体験は、特約店営業部にいく前、東京・京橋にあった中央第一支店の課長のときだ。都心の千代田、中央、港の3区を受け持つ支店で、部下3人と中央区を担当。小売店向けは最若手に任せ、自分たち3人は全国最大の売り上げがある大激戦区の銀座などで、「業務用」と呼ぶ飲食店向けの営業に走り回る。
ここでも、東京が基盤の競合2社の壁は厚かったが、ある老舗の精肉レストラン網の本店に、納入ゼロだった生ビールを全部、アサヒにできた。それが支店に伝わったとき、事務所に「おーっ」と歓声が湧く。支社長に言われ、思いを支社の全体会議で話す。
単に、扱い量が大きな店を狙ったのではない。人気店で置いてあるビールを飲んで食事が美味しかったら、自宅でもそのビールを飲むのが人間の心理だ。同じ努力をするなら、そんな影響力があるところに力を注ぎたい。だから、朝は支店へいく前に、その店に納品している大手卸に顔を出し、2日に1度は通い、何かあったら連日いく。得意先の飲食店に飲みにいくのも仕事だが、基本は日中、卸にとっての課題の解決策を提案することを優先する。これは誰にでもできることだよ、と話した。
「泰山之霤穿石」(泰山の霤も石を穿つ)──大きな山からの小さな滴りでも、止まることなく続けば、やがては石にも穴をあける、との意味だ。中国・前漢の歴史書『漢書』にある枚乘(ばいじょう)の言葉で、小さな努力でも誰にもできないほど続ければ、大功も成し遂げる、と説く。「非凡」と言えるまでの努力を続けて取引先の心を動かした小路流は、この教えに重なる。