日米の精鋭が、徐々に集まり始めた。

「いずれお呼びがかかるだろう」――防衛省陸上幕僚監部の笠松誠一等陸佐(46歳)は、自身の予想通り18日朝、仙台空港行きを命じられた。奥尻島(北海道南西沖地震、1993年)、東海豪雨(2000年)やパキスタンの地震(05年)と洪水(10年)と災害派遣を数多く経験してきた笠松氏は、夕方に陸路で仙台駐屯地に到着。そのまま空港へ向かった。

「ショックでした。もう復興など無理じゃないかと思ったくらい」(笠松氏)

米国海兵隊 大佐 クレイグ・S・コゼニスキー●静岡県にある訓練施設キャンプ・フジにて司令官を務める。今回の作戦で辛かったことをたずねると、「とにかく寒かったことだね。任務遂行中の緊張感は戦地でも被災地でもそう変わらないよ」と肩をすくめた。

翌19日にかけては、キャンプ・キスナーに常駐する海兵隊で組織された戦闘支援連隊が、続いて静岡・御殿場のキャンプ・フジの米海兵隊が、重機とともに車両24台で空港入りした。

「(地震直後は)何かしなければ、と思った。すべて変わってしまった瞬間でした」――クレイグ・S・コゼニスキー米海兵隊大佐(44歳)は、キャンプ・フジ海兵隊訓練センターの司令官だ。

「私はフィリピン沖地震(06年)の人道支援に関わった経験があります。部下にも人道支援の経験者がいるし、重機や七トントラック、そして力のある海兵隊員たちがいます。他国の支援部隊など実際のオペレーションを行う前の下地づくりができると考えました」

コゼニスキー氏は作戦の実行部隊ではない。しかし、自ら進んで部下を募り、米軍司令部に許可を仰いだ。

「キャンプ・フジが我々の家だと思っていますから、その隣人があのような災害にあったら、何かすべきだという考えが浮かぶのは当然でしょう」

空港ビルの2階は、避難者に代わって米兵の寝袋がずらりと並んだ。ここに、米空軍・海兵隊と陸上自衛隊(21日に米陸軍第35兵站支援大隊が合流)が一堂に会する、異例の陣容が整った。

※すべて雑誌掲載当時