あくまでも「とんかつ屋」として勝負

子供時代に、矢場とん本店建物の記憶もある筆者が、同社の勢いを感じたのは、名古屋駅前の老舗地下街にある「矢場とん名古屋エスカ店」の人気ぶりだ。2001年のオープンだが、近年は行列が絶えない。最近は外国人も多く並ぶようになった。

大衆食堂時代の「矢場とん」

「あの店によって、遠方の方への知名度も上がり、店舗拡大を果たせました」と話す名古屋育ちの純子氏に、“なごやめし”と、矢場とんの位置づけを聞いてみた。

「なごやめしの多くは、もともと家庭料理です。共働きや核家族化が進み、お金を出して食べていただく外食になりました。だから清潔な店にし、食器も変えました。でも矢場とんは、豆味噌を使うので、なごやめしと言われますが、私たちは『とんかつ屋』だと思っており、とんかつの品質を追求しています。時代とともに少しずつ変える味は、私と勤続50年以上の木内英治店長が決めています。価格も、極端に高くはないが安くもありません」

そのために豚肉の品質にこだわり、お米や野菜にもこだわってきた。かつては孝幸氏が友達感覚で付き合っていた業者もいたが、改革当時に一新して高品質に変えたという。

東京でも一定の存在感を示す“なごやめし”だが、かつて撤退した飲食店もあるなど、何でも受け入れられるわけではない。その違いを筆者は、日常の食生活の延長線上で利用する「また来たい店に仲間入りできるどうか」だと考える。撤退した店は、各地方の出身者が集まる東京の消費者から「自分の好みではない」と思われたかもしれない。

日常の食生活――と記したのは、人間の味覚は意外に保守的だからだ。判断基準となるのは、高度成長期以降に定着した「味」か、その応用で受け入れられる「味」かだ。東京なら国内外のさまざまな料理が楽しめるが、長年続く繁盛店はそれほど多くない。

矢場とんでいえば、「とんかつがおいしい」「毎日食べてもおいしい」と思えば、消費者は再訪する。逆に「一度行けば十分」と思われれば次の来訪はない。人気を維持するためには、絶え間ない革新が大切だ。名物女将の思いの「本質」を、後継者や従業員が当事者意識で受け継げるかどうかが、将来性のカギを握るだろう。

高井 尚之(たかい・なおゆき)
経済ジャーナリスト・経営コンサルタント
1962年名古屋市生まれ。日本実業出版社の編集者、花王情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画・執筆多数。近著に『20年続く人気カフェづくりの本』(プレジデント社)がある。
(写真提供=矢場とん 撮影(鈴木純子氏)=プレジデントオンライン編集部)
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