名古屋駅から徒歩15分ほど。数年前までシャッター通りだった「円頓寺(えんどうじ)商店街」が奇跡の復活を遂げつつある。立役者は地元名古屋の建築家、市原正人氏。空き店舗の再生やアーケードの改修など、商店街の人たちと協力して、さまざまな手を打った。中でも2013年に初開催した「パリ祭」は新たな名物として根付いている。名古屋の商店街で、どうしてパリなのか。なぜそれが人気になったのか。「奇跡」の一端をお伝えしよう――。

※本稿は、山口あゆみ『名古屋円頓寺商店街の奇跡』(講談社+α新書)の第3章の一部を再編集したものです。

円頓寺商店街の秋の「パリ祭」には大勢の人波が押し寄せる。(写真提供=齋藤正吉建築研究所)

理由は「メンバーにパリ好きが何人かいたから」

円頓寺商店街には昭和31(1956)年に始まった「七夕まつり」があり、今も7月最終週に5日間行われる。この七夕まつりを大事にしながら、もうひとつ別な祭りを円頓寺商店街につくろう。市原たちはそう考えた。それが平成25(2013)年秋に初めて開催した「パリ祭」である。

「新しくイベントをやろうとしたときに、商店街の祭りとしてつくるなら、七夕まつりに匹敵するぐらい、みんなに愛されて、なおかつ続いていくお祭りにしたいと思いました。パリ祭というと、なんだかチャラい感じがしますが、そもそもフランスのパリ祭は7月14日の革命記念日に行われる大事なお祭りです。円頓寺は7月には七夕まつりがありますから、秋のパリ祭にしようと考えました」(市原正人氏)

なぜ、いきなりパリ? という疑問が浮かぶが、それは市原を含めメンバーにパリ好きが何人かいたから、というごく単純な理由だ。

ただし、好きだからこそ、何が本物なのかわかるし、恥ずかしくないものにしようと考える。好きこそものの上手なれ、である。

「徐々に充実させていくのではなく、1回目から『これ、本物だね』と思わせるお祭りにしたかったので、発案は2011年でしたが、そこから準備に1年半かけました」

「これぞ」という店にこちらから声をかけた

出店してもらう店は公募ではなく、「これぞ」という店にこちらから声をかけにいった。フレンチ雑貨店、ブロカント(アンティーク店)、フラワー・アレンジメントの店、バゲットが美味しい店など、名古屋市内だけでなく郊外まで広げて、まだそれほど知られていないけれどもセンスの良い店をピックアップして出店を依頼した。

ネームバリューのある店も含めて20店舗ほど集まったあとで、公募を行ったところ、「こういう店が一堂に揃うなんてすごい」と出店希望が殺到してあっという間に80店舗の枠がいっぱいになった。アーケードの真ん中にずらりと80の出店ブースが並ぶことになったのである。

「もうひとつ、本物を感じさせるために、フランスを代表する企業がそこに参加しているという絵があるといいのかなと考えて、お願いにいきました」

これはなかなか簡単にはいかなかった。