このように、世のため人のためにお金を使う方法はいくらでも考えられます。ところが、それを知らない人はお金を貯めこむだけ貯めこみ、私利私欲のための無駄な使い方をしてしまいます。お金にケチな人のことを「吝嗇」と言いますが、中国古典では最も軽蔑される人間のタイプです。また、お金を持った途端に人間が変わり、酒池肉林に耽るのも最悪の使い方です。お金の魔力に屈してしまったんですね。
「利を見ては義を思う」
本来、お金についてしっかり学んでいれば、おのずと正しいお金の使い方が見えてくるはずです。私は、欧米のように義務教育できちんとお金について教えるべきだと考えています。たとえば会社は公器であることや、資本市場における株式の重要性、銀行や証券会社の役割など、お金と社会の基本を教育していくのです。
いま政府は「貯蓄から投資へ」と言っていますが、運用の仕方を知らない人が投資を行おうという考えにはならないですよ。泳ぎ方を知らない人を大海に放り出すようなもの。きちっと実践的な考え方を教える必要があります。
無論、投資のテクニックだけを教えても意味はありません。とくにAI時代になると、テクニックはコンピューターがカバーしてくれますから。学校で教えなくてはいけないのは、機械にはない感情であり心のふれあいの世界、そのベースとなる道徳です。
学校教育が終わった人も遅くはありません。お金の正しい使い方については、古典にいろいろ書かれています。たとえば私が好きな「利を見ては義を思う」(利益を得るのはいいが、正しい利益なのかどうか吟味せよ)も論語の一節。古典は学びの宝庫ですから、ぜひ手に取ってみてください。
日本人にとってお金とは:金持ちになれるかは天が決めるもの
1951年、兵庫県出身。74年慶應義塾大学経済学部卒業、同年野村証券入社。78年、ケンブリッジ大学経済学部卒業。92年、野村証券事業法人三部長、95年、ソフトバンク常務取締役を経て、99年より現職。SBI子ども希望財団理事およびSBI大学院大学学長も務める。