ところで、試合そのものが盛り上がっているか、ペナントレースが白熱しているかを判断するのは、顧客であるプロ野球各チームのファンである。したがって、日本のプロ野球の危機について考察し、それを克服する道を展望する際にも、ファンの目線からものを見る必要がある。

また、一般的に言って、危機的な状況には、それを生じさせた原因や、それを大きくした背景・文脈が、必ず存在する。危機を克服するにあたっては、その原因を発見・除去し、問題を深刻化させた背景や文脈に即した適切な方策をとらない限り、成功はおぼつかない。そして、危機の原因や背景・文脈を正確に理解するためには、時系列的な変化を濃密に観察する歴史的視点が求められる。


日本のプロ野球史に登場した3つのビジネスモデル

以上の観点から、51年生まれで阪神ファンの筆者(橘川)と79年生まれで巨人ファンの奈良堂史は、協力して今年8月に、『ファンから観たプロ野球の歴史』(日本経済評論社)という本を刊行した。野球ファンであるとともに経営学者でもある我々二人は、この本のなかで、36年のリーグ戦開始から今日に至る70年余の日本プロ野球史に登場した、3つのビジネスモデルについて検証した(表参照)。

最初に登場したのは、球団経営を親会社の本業の発展と直接的に結びつける「本業シナジーモデル」である。36年にリーグ戦が開始されたとき参加した7球団のうち6球団は、新聞社ないし電鉄会社の支援を受けて設立された。巨人軍は読売新聞社を、中日の前身名古屋軍は新愛知新聞社を、大東京軍は國民新聞社を、名古屋金鯱軍は名古屋新聞社を、それぞれ親会社としていた。また、阪神の前身大阪タイガースは阪神電鉄が、阪急は阪急電鉄が、それぞれ設立した球団であった。

さらに、38年秋季からリーグ戦に参加した南海軍も、南海鉄道が設立した球団であった。新聞社がプロ野球チームの設立に力を入れたのは、新聞の拡販に直結するからであった。また、電鉄会社にとっては、沿線の球場で自らが応援する球団が試合を行うことは、乗客数の増加につながった。