特殊部隊員は人気のない山中を通り、南下してソウルに入っていました。しかし、南下中、彼らは住民と鉢合わせしています。不審に思った住民が通報したため、政府は北朝鮮工作員が侵入したのではないかと疑い、青瓦台は万一に備え、警備を強化していました。
そのため、特殊部隊員の青瓦台突入は衛兵によって阻止され、彼らは北岳山(プガクサン)に逃走します。北岳山は青瓦台のすぐ後ろに聳(そび)える山です。この山で、特殊部隊員は韓国軍と激しい銃撃戦を展開、31人のうち、30人は自爆するか、または射殺されました(数名は北へ逃亡したとの説あり)。
そして、1人が生け捕りにされました。この生き残った1人が「朴正煕の首を取りにきた」と証言したのです。
韓国の防備が手薄であったため、このような襲撃を招いたという見方がありますが、そうではありません。どのように防備を固めたとしても、特殊部隊の侵入を防ぐことはできません。陸続きで休戦ラインのすぐ近くにあるソウルに対し、北朝鮮が特殊部隊員を送り込むことは、その気になりさえすれば、いつでも可能なことなのです。
アメリカは静観、韓国は「報復部隊」を編成
朴正熙はこの襲撃未遂事件に激怒します。朴はすぐに北朝鮮へ報復攻撃をするつもりであるとアメリカに伝えます。しかし、アメリカがこれを許しませんでした。アメリカは1965年以降、ベトナム戦争を本格化させていました。事件が起こった1968年の当時、アメリカは朝鮮半島で有事を抱える余裕はありませんでした。
朴は結局、報復攻撃を諦めました。しかし、朴は秘密裏に金日成の暗殺計画を進めます。自分を暗殺しようとした北朝鮮特殊部隊と同じ31人の部隊を編成し、「やられたらやり返せ」という考えのもと、金日成暗殺部隊を育成します。この部隊は1968年4月に編成されたため、「684部隊」と呼ばれます。
この「684部隊」が映画『シルミド』(2003年)の題材となりました。シルミドは漢字で「実尾島」と書きます。仁川(インチョン)沖の実尾島で、「684部隊」は過酷な訓練を受けます。
しかし、1970年、南北融和が進み、金日成暗殺計画は中止されます。映画『シルミド』では、秘密部隊の「684部隊」の存在を消すために、隊員を殺す計画が立てられ、それに反発した隊員が反乱を起こすという筋書きになっています。これは事実と異なります。
「684部隊」は決死隊であったため、隊員たちは高額の給与で雇われていました。金日成暗殺計画が中止されるとともに給与の支払いも中止され、これに怒った隊員が理性を失って、ソウル市内で銃撃戦を演じたというのが実態です。冷戦時代の当時、暗殺部隊をはじめとする特殊部隊はどこの国でも普通にあり、あえてその存在を消して隠す必要などありません。
この銃撃戦で、「684部隊」の4名が生き残りましたが、いずれも処刑されました。