今日のほとんどの日本人の間では、日米同盟体制の運用の方法をめぐる議論はありえても、同盟を「信頼」すべきか否かの議論はないように思う。「正義への信頼」こそが、日本国憲法の命である。従属ではない。相手が信義則に反する行為をとるならば、指摘すればいい。しかしそれも「信頼」があればこその話だ。

「正義」という語は、日本国憲法を合衆国憲法と照らし合わせることによって判明してくる「秘密のコード」である。そして同時に、70年間にわたる日米の「同盟の絆」が、表の理念ともしっかり結びついていることを示すコードでもある。

「顕教」としての憲法、「密教」としての日米同盟

終戦直後の憲法学徒たちは、「justice」を「公正」と訳し(外務省仮訳時まで「正義」だった「justice」を故意に「公正」としたのは、当時の内閣法制局の役人だ)、さらに「中立の立場からの平和外交」などと意図的に曲解した解釈を施してきた。日本国憲法の「正義」の「コード」を覆い隠す運動が展開されてきたわけだ。

しかしアメリカ人によって起草された「日米合作」の「秘密のコード」を内包したテキストとして日本国憲法を見るとき、むしろ憲法が全く逆のことを見ていたことが判明してくる。「表」側の「顕教」にあたる憲法が、「裏」側の「密教」にあたる「同盟の絆」を予定していたことに、気づかされることになる。

日米安全保障条約は、いわば地域的な集団安全保障の体制である。日本の憲法学者はこれを否定する。しかし、国連憲章はそれを否定していない。日本国憲法も、否定していない。地域的な集団安全保障、つまり根拠規定が集団的自衛権にあるような安全保障は、普遍的な集団安全保障と、連続性をもって結びついている。憲法から見れば、「平和を愛する諸国民の正義と信義に信頼して、自国の安全と生存を保持しよう」とする点では、全く変わりがないからである。

戦後日本の国家体制においては、憲法9条が「顕教」の役割を担い、日米安保が「密教」の役割を担ってきた。だが、両者は決して矛盾していない。むしろ調和している。

憲法を不必要に神話化することなく、現実の中で、実務的に、解釈する。それはむしろ、戦後憲法学のイデオロギーに惑わされずに、憲法を素直に読んでいくということなのだ。

(*1)日本国憲法の英訳は、法務省・日本法令外国語訳データベースシステムに依拠
(*2)邦文は外務省編『日本外交年表並主要文書』、カタカナ部分はひらがなに変更。英文は国際連合の公式ウェブサイトより。
(*3)邦文は国連広報センター、英文は国連の公式ウェブサイトより
(*4)邦文はアメリカンセンターJAPAN、英文はアメリカ国立公文書記録管理局の公式ウェブサイトより

東京外国語大学教授 篠田英朗(しのだ ひであき)
1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程終了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」』(講談社選書メチエ)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保」(風行社)、『ほんとうの憲法 ―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)など。
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