生き残りを懸けた“BtoB”からの変化
【弘兼】重工業は財閥系の三井、三菱、住友が圧倒的に強く、伊藤忠は軽工業を重視していたという差はあっても、ビジネスモデルは似通っていた。
【小林】商社の仕事は長らく“川上”と“川下”を繋ぐ“川中”でした。“川上”には資源や技術などの「供給」があって、“川下”のお客さん、市場の「需要」に繋げる。我々はよく、商社は生まれついての“BtoB”という表現をします。
【弘兼】企業間取引ですか。
【小林】物流、あるいは金融などの役割で需要と供給を繋げていたのです。そのため、川上、川下がどんな業種であっても、問題なかった。ところが、1980年前後に「商社冬の時代」と言われるようになりました。価格競争が厳しくなると、川上や川下からは、なぜそこに商社が必要なのかと疑問視されるようになった。川上から川下にすとんと落ちれば、ハンドリングチャージ(取扱手数料)をなくすことができますから。
【弘兼】いわゆる商社不要論。商社は生き残りのために変わらざるをえなくなった。
【小林】かつて“川上”に手を出すことは、山師と言われるほどのリスクがありました。本来の商社の機能からすると手をつけるのは難しかった。しかし、それを必死で変えました。いわば生まれついての“BtoB”の企業が、川上、そして川下を一気通貫して繋ぎはじめた。いわゆる「バリューチェーン」です。
【弘兼】原材料の調達から製品・サービスが顧客に届くまでを、価値の連鎖としてとらえる考え方ですね。
【小林】そうなると以前、川中でしか取れなかった利益を、川上、川下のどこでも取れるようになります。伊藤忠で言えば、粗利益はBtoBだけだった時代より6、7倍に増えたという実感があります。
【弘兼】当然、組織の人材も増えます。
【小林】以前は伊藤忠単体の約4000人ですべてをやっていました。今はグループ全体で約10万人。そのほとんどが川上か川下にいます。
【弘兼】その中心で伊藤忠がコントロールタワーのような役割をしている。
【小林】ええ。川の水がどう流れているのかをいつも監視。川下からの要望を川上にしっかり伝える。川上で供給がダブつき、日本市場で飽和状態であれば、海外で売ろうなどと考える。バリューチェーン化したことによって、各商社の特徴が出てくるようになった。最近では、取扱分野を見れば、どこの商社か一目瞭然でわかるようになったのです。