身近に飛ぶ砲弾にも眼を瞬かない沈着さ

今の日本を見れば、問題を先延ばしにしない、この「決断即実行」の重みは明確だ。先日の国会で、鳩山由紀夫首相が谷垣禎一自民党総裁の追及に「こんな国家にしたのはあなた方だ」と逆襲したが、政治が目先ばかり追ってきたから今の状態に陥った。10年先、20年先に日本をどうしたいのか。行き当たりばったりではなく、先々のことを考え、やるべきことを恐れずやり抜くことが必要だ。

その際に求められるのが言動の明瞭さ、わかりやすさだ。幕末・維新の英傑たちの手紙を数多く読んできたが、大久保が書いた手紙のわかりやすさは出色で、専門家でなくても読めるくらい。考えに考え抜いた末に、自分が言うべきこと、本当のことだけをストレートに書いている。誤魔化さないし、他人の悪口も愚痴も書かない。言葉というものの重みを知れば、おのずとそうなるのだろう。

大久保の寡黙さも同じ理由からだろう。人の話を聞く際、まず相手に言いたいだけ言わせる。話が途切れると、「それだけですか」。続けて話すと、また「それだけですか」。話し終えると、初めて大久保なりの意見を短く言う。部下は怖かっただろうが、後はやりたいようにやらせてもらえたし、責任は大久保が取った。逆に、気に食わない意見でも感情を表に出さずにじっと聞くから、「話をよく聞いてくれる」という安心感にも繋がった。手紙に愚痴や反省が目立ち、不満があると大酒を飲む木戸孝允とは正反対だ。

大久保の人間性において、驚くべきはその沈着さ。そのバックボーンには、潔さを旨とする薩摩藩独特の価値観があると思う。江藤新平ら佐賀藩の士族が起こした佐賀の乱(1874年)の鎮圧には自ら赴き、ウムと一言言ったきりで、「別に隠れようともせず、砲弾が身の周囲にはビュービュー来るのに、ビクともしないで眼も瞬かずに(戦況を)見ている」と、同行した米田虎雄(元熊本藩士、後に子爵)が驚愕している。このとき大久保は珍しく感情を露わにした手紙を書いた。ただ、それは蜂起そのものではなく、戦端が開かれてから2日目に一人で逃げた江藤に対する怒りの表れだった。