1960年代半ば、私が立教大大学院で学んでいた頃の恩師が、大久保利通の孫に当たる利謙教授。180センチ近い長身と風貌は肖像写真そっくりだったが、大久保についてはこちらから聞くとやっとぽつりぽつりと話す程度だった。
当時、歴史学の世界はマルクス主義史観が全盛。「人民を弾圧した」大久保は非常に評判の悪い人物だった。これには先生なりに不満があったようで、大久保に興味を持った私にまず「これを読んでごらん」と手渡したのが、『大久保利通』と題した一冊の本だった。
同書は生前の大久保と親しかった人々や部下、親族の証言を聴き取った報知新聞の記事(明治43年10月から96回連載)をまとめたもので、威厳に満ち、近づくこともはばかられた執務中の姿だけでなく、視察中のヨーロッパの近代文明に圧倒される様子や、帰宅した自分の靴を脱がそうと引っ張ったわが子が、勢い余って後ろに転げる姿を笑顔で見守るなど、冷酷な独裁者という先入観とは正反対の生き生きとした内容だった。これが大久保について深く考える契機となった。
大久保の最大の功績は、日本の近代国家としての基盤を築いたことだ。しかし、盟友・西郷隆盛に比べ一般には不人気とされている。確かに、西郷を西南の役(1877年)で自決に追い込んだとして嫌う人も少なくない。が、面白おかしいエピソードが極めて少ないこともあって、嫌われているというより実像が知られていないのだと思う。鹿児島県の有名な黎明館(れいめいかん)で私が講演したときですら、後で来場者から「大久保のことがよくわかりました」と言われたくらいだ。
ただ、大久保に興味を持つ人は増えているようで、2004年に復刻された先の本は現在まで11刷、約1万8000部売れている(書名同じ。講談社学術文庫、佐々木克監修)。
大久保を文章で表現する際は、えてして真面目、清廉潔白といったいま一つ膨らみのない褒め言葉が並んでしまう。これらに深い意味を持たせるべく書き手は苦労するのだが、私が大久保から感じるのは正義感と責任感だ。頭の中は、「このままでは日本が倒れる」「何とかして近代国家にしなければならない」がすべて。何事も誠実に一生懸命考え、全身全霊で当たる姿には透明感すら漂う。基本線は絶対に曲げないが、そこさえしっかりしていれば少々の違いはあっても妥協していく調整型の政治家で、初めいろいろと悩み抜くが、いざ決断したら即実行。目標に向かって突き進んでいく。