長時間労働是正の経済的な影響
さて、企業が長時間労働の是正に真正面から取り組む場合、対応策は、(1)労働者間で残業時間を調整する、(2)業務を効率化する(無駄な業務の見直しやAIの活用など)、(3)生産・サービスを縮小する、(4)追加的な採用を行う、の4つで、実際にはこれら4つのうちのどれか、ないしすべてを組み合わせるとみられる。
(1)労働者間で残業時間を調整する
(2)業務を効率化する
(3)生産・サービスを縮小する
(4)追加的な採用を行う
経済的な影響を考えると、(1)ですべて調整可能なら、残業時間が労働時間の長い社内のAさんから労働時間の短い社内のBさんに振り替えられるだけで、経済的な影響はほぼ生じない。
(2)の場合は、業務の見直しで残業時間が減るため、就業者の残業代が減少する一方、その分、企業の収益が増加する。家計の限界消費性向と企業の限界投資性向の違いだけ、総需要を拡大・縮小させる要因になるが、家計の限界消費性向の方が相対的に高いとみられるため、どちらかと言うと経済に縮小的に影響するとみられる。
また、(3)についても、生産やサービスの縮小は、所得の減少、ひいては需要の減少をもたらし、経済に縮小的な影響をもたらす。
(4)については、労働時間の長い社内のAさんの残業時間が減り、新たに雇用されるCさんの労働時間に振り替えられる。ただ、この場合、経済が既に人手不足状況にあるため、追加的な労働需要の発生は、人手不足を一段と強め、賃金上昇圧力と高める要因となる。上述の(2)と逆のメカニズムで、家計の限界消費性向が企業の限界投資性向を上回るとみられる分だけ、総需要を押し上げる要因となる。
上述の通り、マクロ的には(1)~(4)のミックスが生じるが、(2)、(3)の影響が(4)を上回るとみられ、理屈上、経済にはマイナスの影響がもたらされるとみられる。長時間労働の是正で、残業代が大きく減り、景気への悪影響を懸念する声もある。
ただ、筆者の大まかな試算では、残業代の減少による雇用者所得の減少は大きく見積もっても1.5兆円程度(GDP比0.3%程度)とみられる。決して小さな金額とは言えないが、一方でその分だけ企業収益は押し上げられ、投資がうながされるため、残業代の減少分がそのまま需要を押し下げるわけではない。残業の減少が新規の採用で置き換えられれば、マクロの雇用者所得はここまで減らない可能性がある。また、景気には「気」の面があり、長時間労働が是正されれば、余暇の時間が増加し、消費者心理も明るくなるため、前向きな消費が増える可能性がある。
こうした点まで考慮すれば、現状で見込まれる長時間労働是正による景気へのマイナスの影響は限定的で、景気を腰折れさせるほどの要因とはならないだろう。
懸念される人手不足の深刻化
懸念されるのは、上記の(4)によって追加的な労働需要が生じ、人手不足が一段と強まることである。上述の労働力調査年報のデータから計算すると、60時間を超過している分の残業時間の合計が総労働時間に占める比率は2.7%で、これを労働力に換算すると、平均的な就業者(=月160時間程度働く就業者)で166万人、月100時間程度働くパートタイム労働者で267万人に相当する。
つまり、月平均残業60時間の上限が導入され、超過する労働時間を追加的な人手ですべて代替しようと思うと、これだけの労働者を新たに確保しなければいけないということである。