二次下請けにも出かけて自分で現物を確認する

2009年1月21日に打ち上げ予定の機体(愛知県の飛鳥工場)。何万本もある細かい電気配線などもすべて手作業で取り付けていく。「最先端技術は人間の手が担っているんです」と前村氏。

オートバイが好きだった前村は早稲田大学理工学部で内燃機の研究室に入り、自動車メーカーへの就職を希望していた。ところが、73年にオイルショックが発生。「自動車産業に将来はない」。こう考えて、最初はパイロットになろうとしたが、家族の反対に遭い断念。75年、ターボプロップ機(プロペラ機の一種)の「MU2」をつくっていた航空機メーカー、三菱重工に入社する。しかし、配属されたのは液体エンジンロケット課。技術者は若手ばかり30人弱だった。

三菱重工にロケット事業があることを、配属により初めて知る。「内燃機だから、別にいいか」。自分を納得させたが、働き始めると周囲は優秀な人ばかりで、驚かされる。先輩が電話で英語を話しているのを見て、気後れを覚えてもいた。

75年は、三菱重工が最初のN1ロケットを打ち上げた年でもある。N1はアメリカからの技術導入により製作された。アメリカ人技術者から、若い前村は多くを学ぶ。スポンジが水を吸収するように。「成功の秘訣として一番いわれたのは『最後は自分の目で確かめろ』ということでした」。いまも、前村は気になることがあると二次下請けにも出かけて、自身で最終確認をしている。その後、家族ぐるみの付き合いに発展したアメリカ人技術者もいて、「幸せな技術者人生のスタートでした」と振り返る。

2009年1月21日に打ち上げ予定の機体(愛知県の飛鳥工場)。機体は船で種子島まで運ばれ、その後、組み立てられる。温暖化ガス観測技術衛星「いぶき」を中心に、東大阪市の中小企業が製作した「まいど1号」などの小型衛星も搭載される。

100%外国製だったN1の1号機から19年目に当たる1994年。初めての純国産ロケットH-IIの打ち上げを成功させる。宇宙センターの駐車場で祝賀パーティが開かれたが、前村はあまりの喜びに、ビールかけを始めた。

「前から、やってみたいと思っていた」そうだが、達成した幸福、チームの一体感とで、全員が弾けた。この様子はテレビでも放映され、たまたま名古屋の自宅にいた夫人が番組を見てしまう。「あなた、種子島で何をやっているの」と、日頃は仕事に口を出さない夫人から叱られたという。前村は「家内に大変感謝してます。子供がまだ小さいころ、種子島、(秋田県の)田代試験場に出ずっぱりで、ほとんど家に帰れない年もあったのに、私を放っておいてくれた。おかげで仕事に集中できたのです」などともいう。