シャープ「戴正呉体制」の真の怖さ

戴正呉の強みと弱みはおそらく表裏一体だ。鴻海のナンバー2という彼の地位は、場合によっては彼のシャープ再建の大きな足かせになる可能性もはらむ。

「(シャープへの社長就任は)ありません。そんなことはないですよ」

前出の『今週刊』記事によると、今年4月2日の鴻海とシャープの資本提携発表後、日本人記者から声を掛けられた戴正呉はこう言って盛んに否定してみせたという。彼はその後も「鴻海副総裁としての業務が忙しい」など、メディアの前では社長就任を否定し続けたが、翌月になり最終的に就任が内定した。鴻海がシャープへの買収交渉を開始した当初、「経営は日本人に」と申し出ていたのとも異なる結果である。

戴正呉が慎重な回答を繰り返した理由は、本人の多忙もあるはずだが、それと同じくらい郭台銘から無用な野心を疑われないための処世術であった可能性が高い。

家電メーカーの出身で日本企業との付き合いが長く、日本語も話せる戴正呉が、鴻海傘下の新生シャープの舵取り役として最も適性が高いことは客観的に見ても明らかだ。だが、自分がそのポストに就いて当然、という態度を一切見せずにあくまでも郭台銘の意向に従う形を取ることで、郭台銘や他の最高幹部たちとの軋轢を回避したのだろう。

そもそも中華文明の歴史において、独裁者のナンバー2は常に最も危うい立場だ。例えば中国共産党でも、毛沢東の片腕だった劉少奇や林彪、トウ小平の片腕だった胡耀邦や趙紫陽は、いずれも主君から大すぎる権力を警戒されて失脚し、悲惨な末路をたどった。しばしば「郭台銘の帝国」と称されがちな鴻海の社内で、戴正呉はこうした先人の轍を踏まないように常に細心の注意を払っているように見える。

今年7月、戴正呉は台湾の経済誌『財訊』から珍しく単独インタビューを受けているが、シャープの今後の方針については「IoT(モノのインターネット)の先進企業にする」「若く優秀な人材はちゃんと(リストラをせずに)残す」など、おおむね郭台銘がそれまで主張してきた言葉の範囲を踏み越えない内容に終始している。

鴻海はシャープの買収後も「経営の独自性を守る」ことを再三主張してはいるものの、常に郭台銘の意向に従う戴正呉がシャープの社長に就任した以上、その約束が実質的には骨抜きになる可能性は高い。また、どこかで郭台銘の気が変わってしまえば、シャープがある日突然あっさりと放り出されるシナリオすらもあり得る。こうしたケースが発生した場合、仮に会社が経営再建の端緒に付いた状態であっても、戴正呉は間違いなく郭台銘の決定に従う。

移り気な独裁者・郭台銘が飽きたり諦めたりする前に、戴正呉の新体制下で経営を再建し、“鴻海にとって”魅力的な会社に生まれ変わることができるか? シャープの将来の生き残りを決める要因は、時間との極めてシビアな戦いとなるはずだ。

安田峰俊(やすだ・みねとし)
ルポライター、多摩大学経営情報学部非常勤講師

1982年滋賀県生まれ。立命館大学文学部卒業後、広島大学大学院文学研究科修了。在学中、中国広東省の深セン大学に交換留学。一般企業勤務を経た後、著述業に。アジア、特に中華圏の社会・政治・文化事情について、雑誌記事や書籍の執筆を行っている。鴻海の創業者・郭台銘(テリー・ゴウ)の評伝『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)が好評発売中。

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