上司に一蹴された20年前の進言

マーケティング本部のグループマネージャーである中島が、ブランド統一に携わるプロジェクトの責任者となったのは、同じ年の1月のことだった。毎年恒例の経営方針発表会で、社名変更とそれに伴うブランド名統一の方針が伝えられた。そのとき、ある高揚感を抱いたと彼は言う。

「私は九州の出身なのですが、昔のことを思い出します。就職したとき、松下電器に入ったと言っても、親戚の爺ちゃんや婆ちゃんたちにはわかってもらえなかった。でもナショナルと言えば通じるんですよね。『明るいナショナル~♪』という歌があるでしょう。『ユキオちゃん、ええとこに入ったねぇ』って」

もう走りながら、何もかもを決めていくしかなかった

しかしそんな「懐かしさ」や「寂しさ」は、すぐに消えた。そして生じたのが、何ともいえない「わくわくした気持ち」だった。何しろ社名である松下電器産業、白物家電のナショナル、情報家電のパナソニックのブランドを統一することは、自社製品の訴求力や世界的な競争力を一つに収斂させるという明確なメッセージであり、あの松下幸之助がつくり上げた自社にとっての歴史的「事件」なのだ。

まだ自分が20代だった頃、と中島は続ける。

1978年に松下電器産業に入社した彼は、電子レンジなどの調理家電を扱う部署に配属された。以来、白物家電の商品企画やマーケティング部門を渡り歩いた。それは、ナショナルというブランドの重みを感じる日々でもあった。

ただ、何度か商談相手の量販店の顧客に、こう言われたことが印象に残っていた。

「このトースターレンジや電子レンジだったら、パナソニックにしてもらったほうが若い人には受けると思うよ」

従来の「ナショナル」の製品には、「街の家電屋さん」や「安心、安全、愛着」といったイメージがあった。対してパナソニックというブランドは、「時代の先を見据える先進的なイメージ」を打ち出そうとしていた。

顧客の指摘はもっともなことのように思えた。確かに黒を基調とし、デザインを重視した製品であれば、白物でも「パナソニック」の名が似合うのではないか。そもそも製品によって複数のブランドを持つよりも、1つに集約したほうがいいという考え方もあるだろう……。

「直属の上司にそう提案したこともあったんです。『それだけはできへん。商品ジャンルでブランドは決まっとるんだから』と言われましたけどね」

それから20年以上の歳月が流れた。

ヨーロッパでは4年前から、日本に先駆けてパナソニックブランドの白物家電が売られていた。そして、ついにこの日本でも――。

ブランド統一の決定を知ったとき、「いよいよ一本になるんや」と彼の胸が高鳴った理由だった。

「でも、その数日後にプロジェクトを任されたときは、途方に暮れましたよ。何しろブランド変更についての具体的なルールは、まだ一つもありませんでしたから。あるのはトップの方針だけ。何を、いつ、どのように変える必要があるのか。そのルールづくりに最初の1カ月は奔走しました」