官僚制度を骨抜きにして政治主導を狙ったものの

戦後の復興から高度成長期にかけても官僚は大きな役割を果たした。「鉄は国家なり」といわれた時代、我々は通産省(当時)が策定した5カ年計画を、眼を皿のようにして読んだものだ。日本の鉄鋼業が全盛期を迎えた頃には、通産省は「産業のコメは半導体である」と言い始める。これをきっかけに日本企業の半導体投資が加速、後発だった日本の半導体産業はあっという間に世界一に駆け上がった。次いでポスト半導体として情報化社会へのシフトを唱えたのはアメリカの猿真似だったにせよ、結果的にはこれも的中した。

このように中央の官僚が長期戦略の旗振り役になって、日本の産業構造を大きく動かしてきた。炭坑を潰したり、繊維の機織り機械を潰したり、造船所の船台を半減したり、すさまじいまでの産業構造転換を演出した。

ところが、1990年のバブル崩壊を境に役人の迷走が始まる。当時の大蔵官僚は、「大前のようなヤツが騒ぎ立てるからクラッシュが起きたのだ。黙っていろ。俺たちに任せておけば軟着陸させてみせる」という言い方をしていた。この頃から官僚の驕りや大局観のなさ、付け焼き刃的な手法が目に余るようになり、日本は「失われた(最初の)10年」へと突入していく。

その後、長引く不況の中で官僚に対する風当たりが強まり、政治が官僚をコントロールしようとする政高官低の状況が生まれた。その権化が「政治主導」を掲げた民主党だ。

しかし、そもそも経験もリーダーシップもないうえに不勉強な輩が多い今時の政治家に“政治”が務まるはずがない。「政治主導なんてうかつなことを言うべきではなかった」と、枝野幸男・民主党幹事長代理(現・内閣官房長官)自らが口にする始末で、官僚主導政治の象徴として廃止した事務次官会議を復活させるなど、今や政治主導のお題目は完全に返上したようだ。おまけに菅首相などの答弁は、望遠レンズで覗かれカナが振られているところから官僚が準備していることがバレてしまった。

国家の政策づくりを自らの手でやるんだと勢い込んでいた政治家は完全にお手上げ状態。一方で官僚もしばらく政治の表舞台から遠ざかっていたうえに頭を叩かれすぎたせいか、政治家不在でも国家を操舵したかつての統治能力を失ってしまった。いよいよ政治家も官僚も国家ビジョンが描けなくなり、バブル崩壊から20年以上が経過した今も日本の迷走は続いている次第だ。