文字を書くのは愛用の万年筆と決めている。これはいまから23年前、大手生保のロンドン事務所長時代に、取引先の投資銀行の担当者からもらったものだ。初対面で「愛読書はシェイクスピアだ」と挨拶して名刺を差し出したら、相手はにやりとして「そうか、君はプリンス・ハルが好きなんだな」という。ハルとはシェイクスピアの『ヘンリー四世』に登場する放蕩王子。しかしヘンリー五世として即位してからは名君とうたわれた人物である。

実は私の名刺には「Hal(Haruaki)Deguchi」と刷ってある。Halは治明の愛称だが、ハル王子と同じ綴りをわざと選んだ。相手が笑顔になったのは、もちろんそれを見抜いたからだ。そればかりか、彼は帰り際に愛用のウォーターマンの万年筆を私にプレゼントしてくれた。以来、手紙を書くときは必ずこの、シェイクスピアのおかげでタダで手に入れた万年筆を使うようにしている。いまではペン先もすっかりすり減ってしまったが、それでも手に馴染んだこの万年筆が、私にとってはいちばん使いやすい。

書く頻度からいったら手紙よりもメールのほうが圧倒的に多い。なぜならそのほうがスピーディだから。誰にとっても1日は有限なので、一つの作業に充てる時間を短縮できるなら、それに越したことはないのである。それに、早く伝わったほうが先方にも都合がいいだろう。先ほどのケーキのお礼も、事前にその方のメールアドレスがわかっていたら、手紙ではなくすぐにメールを送ったと思う。

そもそも、手紙のほうがメールよりも丁寧だとか、ありがたみがあるといった感覚は私にはない。どちらもコミュニケーションの一手段にすぎず、そこに価値の上下はないはずだ。それよりも大事なのは伝える中身である。だから、受け取る場合も、私が注目するのはそこに何が書いてあるかだけ。手紙だろうがメールだろうが、それで評価や印象が変わるようなことはない。