このことは自分の権限についてもまったく同様で、己を知らなければならない。例えば、外交交渉においては、「柔軟性を示す」といういい方がある。私も昨年7月、TPPの大筋合意に向け、ハワイで首席交渉官による会合を行う際、「最大限の柔軟性と建設的な姿勢で最終決着の地ならしをしたい」と述べたことがある。
「柔軟性を示す」という発言は、相手から見ると、「譲歩する用意がある」という意味で理解される。日本の場合、TPP交渉参加を決意した安倍晋三首相自身に、「守るところは守り、得るべきものは得ながらも、交渉をまとめるために必要な柔軟性を発揮する」という政治的な意思があった。だからこそ、首席交渉官の私も発言できた。自分の能力もわきまえずに大風呂敷を広げても、信用を逸するだけで、二度と相手にしてもらえなくなる。
「相手を知り、己を知る」――その大切さは、相手方においても正対称で当てはまる。つまり、こちらの立場についても、「なぜそうなのか」という理由を相手に明確に理解してもらわなければならない。その際、もっとも大きな力になるのは、駆け引きとは対極にある「誠実さ」だ。どのような交渉であれ、合意が容易でない場合、こちらがテーブルに着く前に決めた条件を相手が丸のみする形で決着することは基本的にありえない。それはお互い様だ。したがって、交渉とはそれぞれが許容できる範囲内で、どのように工夫し合い、協力し合って、合意に至るかという「共同作業」にほかならない。
ただ、交渉においても、当然、「できる」ことと「できない」ことがある。そのとき、こちらの「できない」という立場を、どのようにして相手に納得してもらうか。それには、すべてを正直に説明し、誠実さをもって対応するのが最も納得性が高い。