社交的な母は、場を和ますのも上手。自然と周囲は笑顔で溢れます。さっきまで夫婦喧嘩でムスッとしていた父ですらニコニコしている。笑顔でいるときには、誰も嫌な思いをしていない。その空間の中にいられるのは幸せだなと、子供心に刻まれたんです。夕食の間は、「早く勉強しなさい」とも言われませんし(笑)。
両親を慕って集まってくる人たちは、たい平さんにも優しく接してくれた。風呂に入れてくれたり、ハイキングに連れていってくれたり。
よそさまからの愛情をたくさんいただいた─―それがすごくよかったと、大人になった今、感じています。子供ながらに察していたのは、その愛情は、両親がお客さんや近所の人にかけているものが、僕に戻ってきているんだなということ。だから両親が朝から晩まで仕事で忙しくても、両親からの愛情がないという寂しさは全く感じずに過ごせたんです。
両親から受け継いだ、人をニコニコさせる術は、落語家としての第一歩を歩み始める際にも役立った。
最初は行儀見習いで、大師匠・林家三平のところ(海老名家)に住み込みをさせていただきました。自由がありませんから、当時は「辛いなぁ」と思うこともあったんです。でも考えてみたら、おかみさんはじめ海老名家や一門の方々にとっては、どこの誰だかわからない二十歳過ぎの男が家の中にいるわけですから、嫌な雰囲気を醸し出していたら気味が悪いですよね。だから「この子がいると、ついつい毎日笑顔がこぼれるわ」と思われるようにするには、どうしたらいいだろうと、ずーっと考えていましたね。