アウェイな環境でグローバルな素質が育つ
このように、4月の中1の教室は、まるで未知との遭遇の連続となる。毎日が冒険だ。それぞれの地域にそれぞれの文化があり、地域文化の多様性が教室の中にもたらされる。国境をまたぐわけではないが、これだって立派な異文化交流だ。これぞ学校の中にあってほしい多様性ではないだろうか。
私立中高一貫校の中には、積極的に帰国子女を受け入れている学校もある。これも学校の中に多様性をもたらすための工夫の一つである。親の所得という意味での多様性は広がらないが、生徒がもつ文化的背景の多様性は広がる。
それぞれ違った風景を見て育ってきた生徒たちが集い、彼らがお互いの文化を共有するのだ。
中高一貫校の教育については、拙著『進路に迷ったら中高一貫校を選びなさい』(ダイヤモンド社)をご参照いただきたい。
現在「グローバル人材」が必要だとされている。では「グローバル人材」とはどういう人のことをいうのだろうか。多言語ができる? プレゼンテーションやディスカッションが得意? いろいろな条件を挙げることができそうだが、ひと言で言えば、「日本という足場を離れて、常にアウェイで戦える人」ということではないだろうか。
常にアウェイなのだから、「あれがない、これも足りない」というようなことの連続を経験することになる。助けてくれる人も近くにはいない。そんな状況では、「とりあえず手元にあるものだけでなんとかする力」がものをいう。ありあわせのものを使って最善を尽くすことができる力といってもいいかもしれない。
だとすれば、「グローバル人材には、これとこれが必要だから絶対に身につけておくように」という発想自体グローバル人材的ではないと私は思う。
手元にあるものだけでなんとかする、覚悟と知恵と度胸こそがものをいう。「あれがなければ戦えない」「これが足りなかったから負けたのだ」というような言い訳は、もっともグローバル人材的ではないということになる。
その点、私立中学に通う生徒たちは、毎日アウェイ。地元という足場を離れて、異文化交流することに慣れている。
グローバル人材的な感覚は、こうやって少しずつ自分の生活圏を広げていくことで磨かれていくものではないだろうか。「これがグローバル教育だ」というようなパッケージ商品はあり得ないと私は思う。
(教育ジャーナリスト おおたとしまさ)